2019年7月12日 | お役立ち情報
日本の野球界で初めてのスポンサーマークを付けた広島カープ。そのマークは「フマキラー」
セントラルリーグでのリーグ優勝3連覇。今では日本プロ野球の強豪チームとなった広島カープ。
2009年に建設したマツダスタジアムは、メジャーのボールパークをイメージしたユニークな仕掛けで集客数を増やし、連日訪れるファンたちがチームの勢いを後押ししています。
流行語にもなった「カープ女子」や、スタジアムのバーベキューシートの出現など、プレー以外でも注目を集める広島カープ。
実はカープとフマキラーには意外な関係があったのです。今回は、カープという球団の歴史をひも解くことで見えてくるフマキラーとの関係、そして、たくさんのファンに愛されるカープの魅力について紹介していきます。
1950年に結成。チーム名は地元ゆかりの「鯉」にちなんで。
特定の親会社を持たない市民球団として1950年に「広島カープ」が創設。NBP(日本野球機構)のセントラルリーグ(セ・リーグ)に所属し、1975年初優勝。以来、リーグ優勝9回、日本一3回の実績を誇ります。
本拠地は、広島県広島市の南区にある市民球場「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」。二軍(ウエスタンリーグ所属)の本拠地は山口県岩国市にある「広島カープ由宇練習場」です。
1968年に「広島東洋カープ」にチーム名を変更。ちなみにこの東洋とは、自動車メーカーのマツダのことで、以前は「東洋工業」という名前だったのです。
カープ(=鯉)という名前の由来は、広島市内を流れる太田川の名産が鯉であることや、原爆で焼け落ちてしまった広島城は別名「鯉城(りじょう)」と呼ばれていたこと、原爆で焼け野原となった広島が、滝を登る鯉のように復興していくようにとの願いを込めてなど、諸説あります。
ちなみに球団マスコットの「カープ坊や」は、プロ野球球団のマスコットキャラクターとして最古参。1995年に登場した「スラィリー」という着ぐるみのキャラクターとあわせて、ファンに親しまれています。
スポンサーマーク第一号は、フマキラー
“戦後広島市民の心に希望を”の願いとともに結成された広島カープでしたが、核となる親会社を持たないことから運営資金は極めて少なく、監督・選手みずから資金集めに奔走したほどでした。そのため、発足一年にして解散の危機に見舞われます。
このとき、ファンたちが起こした募金活動(樽募金)により窮地を脱しますが、依然として経済状態は苦しいまま。
そこで、地元の企業であるフマキラーが資金援助を申し入れ、その印として選手たちはユニフォームにフマキラーのワッペンを付けてプレーしました。今では当たり前となったスポンサーマークですが、日本野球界全体でその第一号は1952年のフマキラーのマークだったのです!
スポンサーマーク誕生の動画はこちらからご覧いただけます。
近年ますます人気のカープ、その魅力とは?
戦後解散の危機を救った「樽募金」はなんとも市民球団らしいエピソードですが、カープは今でも核となる親会社を持たないため、現在も入場料とグッズ販売、放映権料などによって球団単体での経営を続けています。
こうした市民球団らしさも近年多くのファンを獲得する要因ではないでしょうか。続いてそんなカープの魅力を色々とご紹介していきます。
スタジアムが面白い
広島市民球場の老朽化に伴い、2009年に新設された「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」は、日本では珍しい左右非対称のスタジアムです。メジャーのボールパークをイメージした屋根のない屋外球場で、球場内に区切りがなく気軽にぐるりと一周できる開放的なつくりが特徴です。
さらに、バーベキューをしながら観戦できるスペースや、寝そべって観戦できる「寝ソベリア」、畳でリラックスできる「鯉桟敷」など、他の球場にはない楽しい仕掛けが満載です。
赤というチームカラー
カープと言えば赤のチームカラーでおなじみですが、この「赤」というカラーも人気の要因のひとつと言えます。赤は色彩マーケティングでも購買色や興奮色と言われるように、カープのユニフォームや応援グッズが赤色でかわいいことも多くの女性ファン獲得に一役買っています。
実は球団発足から25年間優勝がなかったことから、1975年、日本球界初のメジャーリーグ出身のジョー・ルーツ監督によって、チームの帽子の色を紺色から燃える闘志を表す赤色に変更。そして見事この年、初優勝を飾り「赤ヘル軍団」が誕生しました。
逆転のカープ
応援するチームが勝つことがファンの喜びですが、ハラハラ・ドキドキの末に逆転で勝利をものにするというのが、いちばん盛り上がるゲーム展開ではないでしょうか。
実はカープは「逆転のカープ」と言われ、先制された試合で圧倒的勝率を誇ります。このあきらめない姿勢こそ強さの原動力であり、ファンをしびれさせてくれるカープの魅力なのです。
チームの顔・ファン注目の選手
「ミスター赤ヘル」山本浩二(背番号8)、「鉄人」衣笠祥雄(背番号3)、「男気」黒田博樹(背番号15)、かつて球団の顔として活躍しファンに愛された偉大な選手たち。山本浩二氏の8、衣笠祥雄氏の3、黒田博樹氏の15は、カープの永久欠番となっています。
そして現在でも、そのプレーにメジャーのスカウトも注目する菊池涼介選手をはじめ、中心選手としてチームを支える田中広輔選手や主砲の鈴木誠也選手、さらに、ますます安定感を増す大瀬良大地選手や復活が期待される野村祐輔選手など投手陣にも期待。高卒ルーキー小園海斗選手にも注目が集まります。
数々のドラマやエピソード
カープにはプレー以外でもファンを惹きつけてやまない数々のドラマやエピソードがあります。まずはなんといっても2015年、メジャーの破格の契約更新を蹴ってカープに復帰した黒田博樹投手。最後はカープで投げたいという黒田投手の男気に、ファンならずとも多くの人々が心を打たれました。
そして同時期、カープの暗黒時代をともに過ごした盟友、新井貴浩選手が阪神からカープに移籍。この2人の活躍もあって、カープはこの年25年ぶり7度目のリーグ優勝を達成しました。翌年、黒田投手の引退式では新井選手と涙の抱擁シーンが印象的でした。
また、2018年の新井選手の引退時には、新井選手の労をねぎらう新聞広告を黒田氏個人が掲載したとして大きな話題になりました。
また、お騒がせの愛され監督といえばブラウン氏。審判の判定を不服とし、ベースを引っこ抜いて放り投げるという前代未聞のパフォーマンスを繰り広げました。その後、ブラウン監督が引っこ抜こうとしても抜けないように、ベースはさらにしっかりと固定されてようになりました。
Bクラスからの脱却、2016年からの躍進
チームカラーを赤に一新した1975年に創設25年目で初の栄冠を手にしたカープ。そこから「赤ヘル軍団」ののろしをあげ活躍を続けていましたが、1990年代になると少しずつ勢いに陰りが見えはじめ、もともと乏しい資金面から大物選手の流出などもあり、1998年からなんと15年連続Bクラスという不名誉なチーム状態に陥ってしまいます。
でも、そんな厳しい状態の中でも、いい選手が育っていき復調の兆しがピークに達した2016年、黒田投手、新井選手のカープ復帰を機会に、再び強いカープとして躍進を続けています。
カープ女子の出現
「カープ女子」という言葉が出はじめたのは2013年頃。この年カープは初めてクライマックスシリーズに進出した年です。チームが強くなったから女性ファンが増えたのか、女性ファンが増えたからチームが強くなったのか真相は定かではありませんが、実際に女性のカープファンが増えたことは間違いありません。
ユニフォームが赤くてかわいいという理由も女性人気に大きく関係していると言えますが、実はカープには「レディースカープ」という女性のためのファンクラブがあり、年会費を払えば年間20試合をお得に観戦できるといった制度があります。
こうしたことからもカープには女性ファンを育ててきた歴史があるので、言葉が流行る以前からカープ女子だった人や、なかには球団創設時からのカープ女子という人もいると言います。
また、カープにはチアガールがいません。代わりに「ホームランガール」という、ホームランを打った選手を出迎える女性スタッフを起用しています。このホームランガールの存在は、マツダオールスターゲーム2011にチアリーダー扱いで参加するようになり、その存在が注目されるようになりました。
なお、「私が元祖カープ女子!1日ホームランガール体験」というイベントでは1,000人を超える応募があり、なんと最高齢は104歳だったそうです!
市民球団ならではの自由なアイデアとファンのカープ愛がすごい
フマキラーと広島カープの意外な関係をはじめ、現在のカープ人気を支えるエピソードを紹介してきましたが、そこには市民球団として他の球団にはない、自由で独創的なアイデアにあふれていました。
球団とファンたちとの距離が近く、チームや選手はファンのためにプレーし、そしてファンは選手やチームのために応援する、こうしたいい関係がカープを強くしている要因と言えます。カープのさらなる偉業に向けて、今後の展開を大いに楽しみたいところです。
フマキラーは、これからも広島カープを応援していきます!