富山県ってどんなところ?富山の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

富山県ってどんなところ?富山の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!
写真提供:(公社)とやま観光推進機構

47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「富山県」です。かつて越中国(えっちゅうのくに)として栄え、豊かな自然を活かした産業とともに発展した富山県。歴史的建造物や各種文化が色濃く残り、おいしい食べ物が豊富な富山県の魅力をお楽しみください。

富山県の基本情報

富山県の基本情報

はじめに、富山県の基本情報をご紹介いたします。

歴史と産業

富山県では、およそ3万8千年前の遺跡が発掘されています。かつて北陸地方一帯は「越(高志・古志)国(こしのくに)」と呼ばれ、7世紀に「越前(えちぜん)」「越中」「越後(えちご)」に分かれました。

越中の中心となる国府(こくふ)は高岡(たかおか)に置かれ、天平(てんぴょう)18年には大伴家持(おおとものやかもち)が国守(こくしゅ)を務めました。天平宝字(ほうじ)元年に越中から能登(のと)が分かれ、戦国時代には石川県との境にある倶利伽羅(くりから)峠で源平の戦いが繰り広げられました。

天正(てんしょう)11年、越中は織田氏(うじ)の武将であった佐々成政(さっさなりまさ)が統治しますが、後に砺波(となみ)や射水(いみず)などの地域は加賀(かが)藩の前田氏が支配します。寛永(かんえい)16年には加賀藩の一部が富山藩として独立し、前田利次(としつぐ)が初代藩主に君臨しました。

江戸時代は治水と新田開発に力を入れ、農業と薬の販売、漁業を中心に発展しました。明治4年の廃藩置県で富山藩が富山県、加賀藩が金沢県となり、その後は旧越中国の全体が石川県に入ったものの、分県運動により現在の富山県が誕生しました。

大正時代に水力発電の開発がはじまると、工業化に拍車がかかります。昭和に入って運河と街路、区画整理の3点を中心に都市計画が進められ、昭和38年に富山空港が開港、同49年から北陸自動車道が建設されました。富山県内で発祥した産業も多く、近年では住みやすい地域としても注目されています。

面積と人口

富山県の面積は約4,247㎢で、全国では33位の広さです。面積の67%は森林で、標高3,000m級の山々には立山黒部アルペンルートが整備されています。

10市・4町・1村から成り(令和4年2月現在)、地域は「富山・滑川(なめりかわ)・立山(たてやま)エリア」、「黒部(くろべ)・宇奈月(うなづき)エリア」、「高岡・氷見(ひみ)エリア」、「砺波・五箇山(ごかやま)エリア」に分かれます。

人口は1,028,146人(令和3年7月1日現在)で、全国では37位です。県内でもっとも人口が多い市は富山市(412,901人)で、高岡市(168,390人)、射水市(92,130人)と続きます(令和3年4月現在)。

【参考】
富山県「富山県の人口と世帯 富山県人口移動調査結果(推計人口)」
国土地理協会「2021年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」

県の位置と県庁所在地

富山県は北緯およそ36°、東経およそ136~137°に位置します。日本列島のほぼ中央の北部にあり、日本海に続く湾を抱く形状で三方は高い山々に囲まれています。県庁所在地は富山市で、中心部には路面電車が走るほか、富山城や富岩運河環水(ふがんうんがかんすい)公園などの観光スポットがあります。

県名の由来

かつて、富山県には「外山郷(とやまごう)」と呼ばれる地域が存在しました。神亀(じんき)元年、大和国(やまとのくに:現在の奈良県)から来た僧の行基(ぎょうき)が、富山城の跡地に外山の字を変えた「富山(ふせん)寺」を建立したことに由来するとされます。

富山県の文化

富山県の文化
写真提供:(公社)とやま観光推進機構

富山県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。

越中富山の薬売り

富山県では、300年以上も前から植物や動物の成分を用いた薬の製造がおこなわれていました。元禄3年、江戸城の大名が腹痛を起こした際に富山藩主が携帯する薬で回復、これをきっかけに薬の受注がはじまりました。富山の薬は、複数の商品が入ったセットを納品して使った分だけ集金する、「置き薬」の商法を導入しています。

ガラス

薬業の発展とともに、明治から大正時代には薬用のガラスびんが盛んに製造されました。富山市には溶解炉を有するガラス工場が10社以上も立ち並び、その生産が全国トップに躍り出た時期もあります。昭和60年に開講したガラス工芸の人気が高まり、平成に入って工房が続々と誕生。現在は、世界的なレベルの施設と技術が国内外から注目されています。

チューリップの球根

チューリップの球根の生産量は、全国1位を誇ります。冬期間の作物生産を模索するなか、大正7年に砺波市で試作したチューリップが高値で売れたことから、本格的な栽培に着手しました。昭和13年に海外への輸出がはじまり、現在は独自の品種開発や栽培管理技術の普及にも取り組んでいます。

高岡銅器(どうき)

高岡市で製造される金属の工芸品で、国の伝統工芸品に指定されています。俗にブロンズと呼ばれる青銅(せいどう)や真鍮(しんちゅう)と呼ばれる黄銅(おうどう)、白銅(はくどう)などを用いて銅像や仏具、小物類を製造します。江戸時代に、加賀藩の前田家が高岡に鋳物師(いものし)を招いて農機具などを造らせたことが起源とされます。

住みやすさ

富山県は住みやすい地域としても知られ、マイホームの所有率や1住宅あたりの延べ面積、1世帯あたりの居住室数が全国1位というデータが出ています。また、道路の整備率や火災発生件数の少なさも全国1位。さらに、全国トップクラスの女性の就業率や共働き家庭の多さ、勤労者世帯の実収入なども、住みやすさにつながっているといえます。

【参考】
富山県「県のプロフィール[特色(暮らし)]」

富山県の食文化・食べ物

富山県の食文化・食べ物
写真提供:(公社)とやま観光推進機構

続いて、富山県の主な食文化をご紹介いたします。

ホタルイカ・白エビ

日本海に面した富山県は漁場から港までが近いため、新鮮な海産物を豊富に味わえます。3~5月に漁獲されるホタルイカは産卵期で身が大きく、定置網(ていちあみ)を用いることから傷の少ない点が特徴です。また、白エビを漁業で水揚げするのは富山県だけで、その透き通るような美しさから「富山湾の宝石」として商標登録されました。

ます寿し

曲げわっぱに笹の葉を敷いて酢飯を詰め、塩漬けのますを並べた「ます寿し」。大正時代に、国鉄の駅弁として販売されてから全国に広まりました。江戸時代の富山藩士が、藩主の前田利興(としおき)に「鮎(あゆ)寿し」を献上したことが起源で、徳川吉宗の称賛も得たとされます。後に、神通(じんづう)川のサクラマスを用いたます寿しが誕生しました。

氷見うどん

コシや弾力性、のど越しなどにすぐれた氷見うどんは、日本3大うどんと称されることもあります。練り上げた生地をひものように細く引き伸ばす製法で、時間をかけて作られます。江戸時代に、中国で学んだ僧が広めたそうめんなどの技術を氷見うどんの創業者が修得、「糸うどん」の製法を編み出したことがはじまりとされます。

ブラックラーメン

しょう油を煮詰めた黒いスープにチャーシューとネギ、あらびきコショウが特徴のブラックラーメン。パンチが効いた独特の味わいは、富山県のご当地グルメとして全国的に知られます。戦後の昭和22年、おにぎりなどを持ち込む労働者に向けて、富山市のラーメン店がおかずとして食べられる濃い味の中華そばを考案したことがきっかけです。

深層水

一般的に、深層水は海面から200mよりも深い場所にある海水を指します。上層の海水よりも窒素やケイ素、ミネラルなどが豊富で、細菌類は少ない点が特徴です。富山県は昭和61年から調査と研究に取り組み、富山湾の海面から300mよりも深い「日本海固有水」を利用したミネラルウォーターや各種の食品、雑貨などを販売しています。

富山県の伝統行事・祭り

富山県の伝統行事・祭り
写真提供:(公社)とやま観光推進機構

富山県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。

無形文化遺産の祭り

富山県では、ユネスコ無形文化遺産に指定された3つの祭りが開催されます。

高岡御車山(みくるまやま)祭

高岡関野(せきの)神社で5月に開催される例大祭で、国の重要有形・無形民俗文化財のほか、複数の文化財で構成したストーリーが日本遺産にも認定されています。豪華な装飾がほどこされた御車山が見どころで、豊臣秀吉の御所車(ごしょぐるま)を前田利家(としいえ)が譲り受け、慶長14年に高岡城を築いた際に町民に与えたことがルーツとされます。

城端曳山(じょうはなひきやま)祭

南砺市の城端神明宮(しんめいぐう)で5月に開催される祭礼です。先頭に獅子舞(ししまい)と剣鉾(けんほこ)、続いて神霊を迎える笠鉾(かさほこ)、唄(うた)を奏でる庵屋台(いおりやたい)、彫刻や塗りのほどこされた曳山が連なります。貞享(じょうきょう)2年の神明社再建を機におこなわれ、享保(きょうほう)9年から曳山が出されました。

たてもん祭り

魚津(うおつ)市の諏訪神社で8月に開催される祭りで、国の重要無形民俗文化財、県の有形民俗文化財にも指定されています。「たてもん」とは、高さがおよそ15mの柱に70~90個の提灯などを三角形に飾りつけたもので、かけ声とともに7基が曳き回されます。大漁と海上の安全を祈る祭りとして、およそ300年前からはじまりました。

富山まつり

県内最大級の祭りで、8月に富山市の富山城址(じょうし)公園や城址大通り周辺で開催されます。多くの踊り手が舞を披露する「よさこいとやま」や「越中おわら踊り」、歌い手の技を競う「越中おわら節全国大会」のほか、各種のイベントを楽しめます。富山まつりは、昭和36年に市内ではじまりました。

山王(さんのう)まつり

富山市内で最大級の祭りで、5月末から6月に日枝(ひえ)神社で開催されます。獅子舞や2日間にわたる神輿渡御(みこしとぎょ)が見どころで、周辺には多くの露店が軒を連ねます。日枝神社は前田家の守護神である産土社(うぶすながみ)として崇められ、元禄3年に前田正甫(まさとし)が神輿を寄進して町内の巡幸(じゅんこう)がはじまりました。

となみチューリップフェア

砺波チューリップ公園で4~5月に開催される花の祭典で、およそ7haの敷地に300品種・300万本のチューリップが咲き誇ります。大花壇の地上絵や水上花壇、高さ4mの花の大谷などを観賞でき、公園のシンボルであるチューリップタワーから園内を見渡せます。砺波町が誕生した昭和27年に第1回が開催されました。

富山県の建築物・遺産

富山県の建築物・遺産
写真提供:(公社)とやま観光推進機構

富山県の主な建築物や遺産は次のとおりです。

五箇山

富山県の南部にある集落で、相倉(あいのくら)と菅沼(すがぬま)の2つの合掌造り集落が、岐阜県の白川郷とともに世界遺産に登録されています。相倉集落には20棟、菅沼集落には9棟の合掌造り家屋が残り、四季折々の原風景が楽しめます。2つの集落は、国の史跡と重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

相倉合掌造り集落
住所:南砺市相倉

菅沼合掌造り集落
住所:南砺市菅沼

公式サイト:https://gokayama-info.jp/

黒部ダム

186mの高さを誇る世界でも最大級のダムで、立山黒部アルペンルート内に建設されました。6~10月には、毎秒10トン以上の放水を見学できます。大正7年に黒部川の水力発電調査がはじまり、昭和31年には黒部川第四発電所を略した「くろよん」の建設に着工。難(なん)工事を乗り越え、7年の歳月をかけて昭和38年に完成しました。

住所:中新川郡立山町芦峅寺
公式サイト:https://www.kurobe-dam.com/

瑞龍(ずいりゅう)寺

荘厳で凛(りん)とした美しさが漂う瑞龍寺は、山門と仏殿、法堂が国宝に、総門や回廊などが国の重要文化財に指定されています。加賀藩2代藩主であった前田利長(としなが)を供養するために、3代藩主利常(としつね)が建立しました。造営にはおよそ20年の歳月を要し、寛文(かんぶん)3年に完成しました。

住所:高岡市関本町35
公式サイト:https://www.zuiryuji.jp/

富岩運河

長さ5.1kmの運河で、一部は富岩運河環水公園として整備されています。水位を調節する水閘(すいこう)施設の「中島閘門(こうもん)」は、国の重要文化財に指定されています。氾濫(はんらん)を繰り返した神通川の分水路を開削した後、昭和6年の都市計画で掘られた運河は、富山県の工業化や都市基盤の整備に貢献しました。

富岩運河環水公園
住所:富山市湊入船町
公式サイト:http://www.kansui-park.jp/

有形文化財の建築物

有形文化財に指定されている建築物の一部をご紹介いたします。

庄川合口堰堤(しょうがわごうぐちえんてい)

砺波平野を流れる庄川には、かつて用水の取水口が点在。これを集約した灌漑(かんがい)および発電用の堰堤で、周辺には遊歩道や公園などが整備されています。庄川の扇状地などに広がるおよそ12,000haの農地を潤すだけでなく、生活や防火などの重要な役割も担います。庄川の流れの変化や氾濫の問題を解決する目的で、昭和14年に建設されました。

住所:砺波市金屋
公式サイト(富山県):https://www.pref.toyama.jp/1605/sangyou/nourinsuisan/noukan/kamo/shisetsu40.html

旧県営発電所

大正13年に建設された旧県営の電気施設で、昭和17年に民間会社に譲渡されました。常願寺(じょうがんじ)川の水を利用し、もっとも早く稼働した上流の中地山(なかちやま)発電所と左岸の松ノ木(まつのき)発電所、下流の上滝(かみだき)発電所が豊富な電力を供給し、富山県の工業化を支えました。

中地山発電所
住所:富山市中地山字上中地山割1-2
公式サイト(文化庁):https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/193379

松ノ木発電所
住所:富山市松木字大下割446
公式サイト(文化庁):https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138148

上滝発電所
住所:富山市中滝字小野海浦割3-1
公式サイト(文化庁):https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/115457

富山県庁

昭和10年に建築された鉄筋コンクリートの4階建てで、当時珍しい耐震・耐火の構造により昭和20年の大空襲も乗り越えました。シンプルながらもモダンで重厚感あふれるデザインや、格調高い貴賓(きひん)室などが評価されています。現在は、屋上の庭園と資料展示室が一般に公開されています。

住所:富山市新総曲輪1-7
公式サイト:https://www.pref.toyama.jp/1021/kensei/kenseiunei/kensei/0/index.html

富山県の県民の日

富山県の県民の日

現在の富山県が設置された明治16年から130年を迎えた平成25年、県の誕生した日である5月9日を「県民ふるさとの日」と定めました。県民ふるさとの日には記念式典が開催されるほか、県立の美術館や博物館、植物園などの14の施設が無料で開放されます。

まとめ

まとめ
写真提供:(公社)とやま観光推進機構

今回は、富山県の概要や各種の文化と祭り、世界遺産などについてご紹介いたしました。美しい山々と治水や発電、漁業や薬の文化をなくして富山県を語ることはできません。

歴史的な建造物と「きときと(富山県の方言で新鮮の意味)」の海産物が豊富な富山県に、ぜひ一度足をお運びください。

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