岩手県ってどんなところ?岩手の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

岩手県ってどんなところ?岩手の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「岩手県」です。美しい自然に抱かれながら、数々の世界遺産や独自の文化・産業を継承し、先端技術の発展にも力を入れる岩手県。東日本大震災の復興と並行して、支え合いと互いの幸せを大切にする「希望郷(きぼうきょう)いわて」の魅力をご覧ください。

岩手県の基本情報

岩手県の基本情報

はじめに、岩手県の基本情報をご紹介いたします。

歴史と産業

およそ2000年前から稲作がおこなわれていた岩手県。7世紀の朝廷軍による侵攻は、蝦夷(えみし)の人々による反撃で回避しましたが、後に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に迎えた朝廷軍が勝利し、律令国家に支配されます。

平安時代には、奥州(おうしゅう)市の胆沢(いさわ)城、盛岡市の志波(しわ)城などが政治の中心となりました。平安後期になると、阿部氏や清原氏などの豪族が権力を振るい内乱が勃発(ぼっぱつ)。阿部氏を制圧し跡継ぎを勝ち取った清原清衡(きよはらのきよひら)は、藤原氏を名乗って平泉(ひらいずみ)に黄金文化と呼ばれる理想の地を造営しました。

鎌倉時代には、源頼朝が一帯を支配。戦国時代は、豊臣秀吉の天下統一まで内乱が続きます。その後、県の北部に南部(なんぶ)氏による盛岡藩と八戸(はちのへ)藩、南部には伊達(だて)氏の仙台藩と一関(いちのせき)藩が置かれました。一足早い明治3年の廃藩置県で「盛岡県」が誕生しますが、区画の変更を経て明治9年に現在の岩手県域が確定します。

第二次世界大戦後は「国土総合開発法」を制定、区画整備や各事業の開発に乗り出しました。1970年代には高速道路や花巻空港、1980年代には東北新幹線などが開通し、続々と交通網が整備されます。

平成23年の東日本大震災で、岩手県は津波による甚大な被害を受けました。同年8月に「岩手県東日本大震災津波復興計画」を策定、現在も復興に向けた取り組みを着実に進めています。さらに、「いわて県民計画」を掲げて震災の教訓を伝授しながら、互いの支え合いや幸福を守り育てる活動にも力を入れます。

自然環境に恵まれた岩手県は米や畜産、林業のほか、全国1位を誇るリンドウやアワビの生産が主な産業として挙げられます。現在は半導体などの先端技術や自動車関連産業に加え、これらに基盤技術を提供する中小企業などを誘致し、ものづくり産業が集積する研究拠点を目指します。

面積と人口

岩手県の面積は約15,275,01㎢で、東北地方では1位、全国では北海道に次いで2位の広さです。県土のおよそ7割を森林が占め、秋田県との県境には奥羽山脈がそびえます。県内には280を超える離島がありますが、有人ではありません。

14市・15町・4から成り(令和3年9月現在)、地域は内陸の「二戸(にのへ)」「盛岡」「花北(はなきた)」「遠野(とおの)」「奥州金ケ崎(かねがさき)」「両磐(りょうばん)」、沿岸北部の「久慈(くじ)」「宮古(みやこ)」、沿岸南部の「釜石(かまいし)」「大船渡(おおふなと)」に分かれます。

人口は1,212,201人で、県内でもっとも人口が多い市は盛岡市(291,320人)、次いで奥州市(112,808人)、一関市(112,496人)と続きます(令和2年10月1日現在)。

【参考】
岩手県「岩手県の人口・経済」
岩手県「市郡(町村)別人口・人口ピラミッド」

県の位置と県庁所在地

岩手県は東経約140~142°、北緯約38~40°に位置し、東西は約122km、南北は約189kmにわたります。太平洋に面した約708kmの海岸線は景観が美しく、宮古市より南は国内でも代表的なリアス式海岸です。

県庁所在地は盛岡市で、「盛岡城跡」や重要文化財の「岩手銀行(旧盛岡銀行)」などの観光スポットがあります。

県名の由来

県名の由来については複数の説がありますが、盛岡市三ツ割の東顕(とうけん)寺にある3つの大きな石「三ツ石様」の伝説が有名です。

里で悪さをする「羅刹鬼(らせつき)」と呼ばれる鬼に悩まされた人々は、三ツ石様に退治をお願いしました。三ツ石に縛りつけられた鬼は観念して許しを請い、二度と悪さをしない印として石に手形を押した、という話が岩手の名の由来とされます。

岩手県の文化

岩手県の文化

岩手県に伝わる文化のうち、主な内容をご紹介いたします。

石川啄木(たくぼく)と宮沢賢治

盛岡市出身の石川啄木は、明治末期の詩人・歌人です。代用教員や新聞記者、新聞記事の校正の職を経て、歌集「一握(いちあく)の砂」を刊行しました。口語体による三行書きや、生活を主題にした斬新(ざんしん)さが注目を浴びました。

宮沢賢治は花巻市の出身で、明治末期の詩人・童話作家として知られますが、農業の研究にも携わり凶作に苦しむ農民に稲作も指導しました。熱心な信仰に基づく独特の宇宙観と自然科学が交錯する詩や童話の多くは、没後に発見されたものです。

原敬(はらたかし)と新渡戸稲造(にとべいなぞう)

盛岡市出身の原敬は、明治から大正時代にかけて活躍した政治家です。外務省次官や内務大臣などを経て、大正3年に総理大臣に就任。貴族の称号である爵位(しゃくい)をもたない初の総理大臣で、「平民宰相(へいみんさいしょう)」と呼ばれました。

新渡戸稲造も盛岡市の出身で、農学・法学博士、教育家などとして活躍しました。アメリカとドイツに留学経験があり、国際連盟事務局長などを務め世界平和と国際理解に向けて尽力しました。過去には、五千円札の肖像画にも選ばれています。

遠野の昔話

明治末期まで、海と内陸をつなぐ宿場町として栄えた遠野。人々が行き交い、多くの物語が集まった地とされます。座敷童(ざしきわらし)や河童(かっぱ)、天狗(てんぐ)などが登場する昔話は「むがあーし(昔)、あったずもな」ではじまり「どーんど、はれ」で締めくくられ、現在も語り部(かたりべ)によって受け継がれています。

北限の海女(あま)

海女が素潜りでウニやアワビを獲る形式は、日本と韓国だけに伝わる漁法です。明治初頭から、漁師の妻らが畑仕事の合間に潜水の技術を得て漁をしていました。久慈市の小袖(こそで)地区は海女による漁の北限で、無形民俗文化財に指定されています。海女を題材とするラジオやテレビのドラマがきっかけで全国に広まり、人気が高まりました。

南部鉄器

炭素を多く含む銑鉄(せんてつ)を主な原料とした鉄器で、主に盛岡市と奥州市で製造されます。鉄瓶(びん)や鉄鍋(なべ)のほか、風鈴などの商品があります。江戸時代の中期、南部藩主が京都から鋳物(いもの)師などを招いて茶の湯釜(がま)を作らせたのがはじまりとされ、後に藩の保護を受けた鉄瓶製造などにより発展しました。

岩手県の食文化・食べ物

岩手県の食文化・食べ物

続いて、岩手県の主な食文化をご紹介いたします。

わんこそば

給仕の「ハイ、じゃんじゃん!」などのかけ声とともに、「わんこ」と呼ばれる木製の椀(わん)に投げ入れられる少量のそばをリズミカルに食べる郷土料理です。盛岡や花巻などでは大人数のもてなしにそばを椀に盛って出す風習があり、27代藩主の南部利直(としなお)が江戸へ向かう際に寄った花巻のそばをお代わりした説などがルーツとされます。

盛岡冷麺(れいめん)

ツルリとした食感でコシの強い麺が、牛ガラなどの冷製スープと牛すじ肉や卵、リンゴ、キムチなどとともに供されます。朝鮮半島の出身であるオーナーが昭和29年に開業した店で、故郷の味を再現した「平壌(ピョンヤン)冷麺」が元祖とされます。昭和61年に市内で開催された麺のサミットで高評価を得て、「盛岡冷麺」の名前が定着しました。

じゃじゃ麺

温かい平麺をキュウリや肉みそなどと絡めて食べ、残した少量の麺にゆで汁と肉みそ、溶き卵を加えた「鶏卵湯(チータンタン)」で締めくくるメニューです。旧満州(現在の中国の東北)の炸醤(ジャージャー)麺をベースに、市内の屋台で誕生しました。近年では、上記のわんこそばや盛岡冷麵とともに「いわての三大麵」と呼ばれ人気を博しています。

ひっつみ

水で練った小麦粉を薄く延ばして手でちぎったものを、鶏肉・根菜・きのこなどと一緒に煮込んだ郷土料理です。「ひっつみ」とは「手で引きちぎる」の方言「引っ摘む」のことで、「とってなげ」や「はっと」と呼ぶ地域もあります。かつて寒冷地では米がうまく育たなかったため、小麦粉やそば粉などを使った料理が多く作られました。

前沢牛(まえさわぎゅう)

奥州市の前沢地域の黒毛和種を指し、出生地や肥育期間、等級などの基準が厳しく定められています。しっとりとしたきめ細かい霜降りとしつこくない脂、上質な香りが特長で、「陸のトロ」とも表現されます。稲作が盛んな前沢では、農耕用の牛が後に食肉用として飼育されるようになり、1950年代に繁殖用の牛を導入して本格的な生産がはじまりました。

岩手県の伝統行事・祭り

岩手県の伝統行事・祭り

岩手県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。

盛岡さんさ踊り

8月初頭に開催される祭りで、太鼓パレードは「和太鼓同時演奏の世界記録」としてギネス認定されています。伝統的な「七夕くずし」などを踊る団体のほか、一般参加による踊りのパレードや複数のポイントで繰り広げられる輪踊りが見どころです。先述した伝説で、鬼の退治を喜ぶ里人が三ツ石の周りを「さんささんさ」と踊ったことが起源とされます。

花巻まつり

420年以上も続く歴史的な祭りで、100基を超える神輿(みこし)がギネス世界記録に認定されています。各町から出る華やかな山車(だし)が「花巻ばやし」を奏でながら練り歩くほか、樽(たる)神輿や郷土芸能を披露する団体などが参加します。慶長18年、花巻城主の北松斎(きたしょうさい)の命日に山車を曳(ひ)いた行事がはじまりとされます。

三陸・大船渡夏まつり

海の祭典としては東北地方で最大級の祭りで、8月はじめに大船渡港などで開催されます。イルミネーションで飾られた「海上七夕(かいじょうたなばた)」と呼ばれる船団による巡航と、5000発もの花火の競演が見どころです。平成16年からは、「大船渡市夏まつり」と「大船渡・かがり火まつり」を、三陸・大船渡夏まつりとして同日開催しています。

チャグチャグ馬コ(うまっこ)

華やかな装束で飾りつけた約100頭の馬が、滝沢市の蒼前(そうぜん)神社から盛岡市の八幡宮まで行進する6月の祭りです。古くから岩手県には、端午の節句に馬の休息と無病息災を祈ってお参りする風習がありました。後に参勤交代の馬が身にまとう「小荷駄装束(こにだしょうぞく)」を模した行進が流行して受け継がれ、「記録作成等の措置を構ずべき無形の民俗文化財」に指定。また、馬につけた鈴の音の「チャグチャグ」は、「残したい“日本の音風景100選”」に選定されています。

いわて雪まつり

みちのく5大雪まつりのひとつで、スキー場や温泉施設など複数の会場で2月に同時開催されます。期間中は各種イベントや雪像の展示、打ち上げ花火などで盛り上がります。昭和44年に雫石(しずくいし)町の農場が開催した「小岩井かまくら」がルーツで、後に行政や企業の支援を得て岩手県を代表するイベントとして定着しました。

岩手県の建築物・遺産

岩手県の建築物・遺産

岩手県の主な建築物や遺産は次のとおりです。

平泉の寺院など

西磐井(にしいわい)郡平泉町は、12世紀に奥州藤原氏が仏教の「浄土思想」に基づいて造営した地域です。世界でも類を見ない表現が評価され、「平泉仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」として世界遺産に登録されています。

登録されているのは、中尊寺(ちゅうそんじ)の金色堂(こんじきどう)などと毛越寺(もうつうじ)の庭園など、観自在王院跡(かんじざいおういんあと)、無量光院跡(むりょうこういんあと)、金鶏山(きんけいさん)です。

「平泉の文化資産」公式サイト:https://www.town.hiraizumi.iwate.jp/heritage/index.html

橋野鉄鉱山(はしのてっこうざん)

技術者である大島高任(おおしまたかとう)の指導の下、安政5~6年に建設された日本最古の洋式高炉跡です。「採掘場跡」と「運搬路跡」のほか、公開されている「高炉場跡」からなります。「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されており、アメリカの「ヒストリカル・ランドマーク賞」も受賞しています。

住所:釜石市橋野町第2地割15
公式サイト:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2020030600160/

御所野(ごしょの)遺跡

今から4200~5000年前、縄文時代の中期後半に人々が定住したとされる大規模な集落跡で、住居跡や墓などが分布しています。令和3年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産に登録されました。現在は公園として整備され、展望台や博物館などが見学できるほか、各種の体験イベントにも参加できます。

住所:二戸郡一戸町岩舘字御所野2
公式サイト:https://goshono-iseki.com/

盛岡城跡

盛岡藩の初代藩主である南部信直(のぶなお)が約36年をかけて寛永10年に築いた城で、地名から「不来方(こずかた)城」とも呼ばれます。北上川と中津川が合流する丘陵に建ち、自然の地形を利用した防御が取り入れられました。現在は雄大な石垣と橋などが残る公園として整備され、「日本の名城100選」や「日本の歴史公園100選」に選ばれています。

住所:盛岡市内丸1-37
公式サイト:http://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/midori/koen/1010491.html

岩手銀行赤レンガ館

明治44年に開業した盛岡銀行の本店で、平成24年8月までの100年ほど実際に営業していました。国の重要文化財に指定されており、赤レンガと緑色のドームなどを取り入れた設計は、東京駅などを手がけた辰野金吾(たつのきんご)によるものです。エントランスや多目的ホールなどのほか、有料ゾーンでは応接室や会議室などが見学できます。

住所:盛岡市中ノ橋通1-2-20
公式サイト:https://www.iwagin-akarengakan.jp/

岩手県の県民の日

岩手県の県民の日

岩手県は、東日本大震災から10年を迎える令和3年2月に「東日本大震災津波を語り継ぐ日条例」を制定し、3月11日を「東日本大震災津波を語り継ぐ日」としました。

東日本大震災の津波で亡くなった方々に追悼の意を表し、震災の教訓を伝承しながら復興の中で得た多くの絆(きずな)に感謝すること、大切な人に想いを寄せるとともに今後の岩手県を築いていくことを目的としています。

まとめ

まとめ

今回は、岩手県の歴史や産業、各種の文化と伝統行事、遺産などについてご紹介いたしました。過去には多くの内乱が起こり、後に世界遺産となる理想郷(りそうきょう)が置かれるなど、ドラマティックな歴史を刻んできた岩手県。

県民が一丸となって東日本大震災の復興に取り組み、支え合いながら着実に前進する岩手県の今後に、どうぞご期待ください。

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