岐阜ってどんなところ?岐阜県の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

岐阜ってどんなところ?岐阜県の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「岐阜県」です。

日本のほぼ真ん中に位置する岐阜県は内陸県で、7つの県に隣接しています。北部の飛騨地方は豪雪地帯で積雪量が数メートルになることも。一方、南部の美濃地方は冬と夏の寒暖差が大きく、多治見市は日本最高気温を記録したことにより「日本一暑いまち」として知られることとなりました。

最近では、関市の美しすぎる池として話題になっている「名もなき池」(通称:モネの池)が人気の絶景スポットのひとつとなっています。幻想的な雰囲気を味わうこともできる岐阜県の魅力をたっぷりご紹介いたします。

岐阜県とは

はじめに、岐阜県の基本情報をご紹介いたします。

県の位置

岐阜県は中部地方に属し、東経約136〜137°、北緯約35〜36°に位置します。7つの県(富山県、石川県、福井県、長野県、愛知県、三重県、滋賀県)に隣接している内陸県です。

岐阜県は日本のほぼ中央に位置し、平成27年の国勢調査によると日本の人口重心は岐阜県関市にあるとされています。

※人口重心…人口のひとりひとりが同じ重さを持つとしたときに、日本全体の人口を支える点

県名の由来

県名の由来には諸説ありますが、稲葉山城(現在の岐阜城)に居城を移した織田信長が城下町「井口(いのくち)」を改名する際、尾張の政秀寺の禅僧である沢彦宗恩(たくげんそうおん)が進言した「岐山」「岐陽」「岐阜」の3つの中から岐阜を選んだといわれています。これらの地名は中国の「周の文王、岐山より起り、天下を定む」という故事にちなんで考えられた地名です。

岐阜県の文化

岐阜県の文化

岐阜県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。

さるぼぼ

さるぼぼは、岐阜県飛騨地方に古くから伝わる人形で、「猿の赤ちゃん」という意味です。「猿」の音読み「エン」は「縁」とかけて、良縁や家庭円満の意味をもちます。また、訓読みで「さる」は「去る」とかけられて、病や災いが去るという意味になり、この2つの願いがさるぼぼに込められています。母親が娘の縁結びや安産、そして子どもの成長や健康を願ってさるぼぼを作ったといわれています

孝子伝説

岐阜県の養老町には、1300年伝わる「孝子伝説」があります。多度山のふもとに源丞内(げんじょうない)という貧乏だが働き者の若者が住んでいました。一緒に住む年老いた父は病気を患い、ほとんど歩けませんでしたが、唯一の楽しみが夜に飲む少しのお酒でした。

源丞内は父親を喜ばせるため、一生懸命働いて酒を買って帰りましたが、いつも買えるわけではありません。あるとき山のふもとで腰掛けて「あの滝がお酒だったらおっとさんを喜ばせられるのに」と考えていると、うっかり足を滑らせて気を失ってしまいます。目を覚ますとすでに夜になっており、近くの泉からいい香りが漂っていました。泉の水を手ですくってなめてみると、お酒の味がします。その水をくんで持ち帰ると父親は大喜び。それから毎日その水をくんで持ち帰ると父親はだんだん元気になり、歩けるようになりました。

この話は奈良の都の元正天皇にも届きます。これは源丞内の親孝行の気持ちが天に通じたのだとして、元正天皇は元号を養老と改元され、源丞内にこの地を治めさせます。源丞内は父親への感謝の気持ちをいつまでも忘れずに暮らしたといわれています。この泉は養老神社の境内にあり、菊水泉と呼ばれ、若返りへの期待から多くの人が採水に訪れます。

関の刃物

ドイツのゾーリンゲン(Solingen)、イギリスのシェフィールド(Sheffield)とならび、世界三大刃物産地に数えられる関市は、日本一の刃物の町です。関の刃物は約800年の歴史があり、数々の名刀を生み出してきました。現在では包丁や爪切り、はさみなど、さまざまな刃物が作られています。

美濃焼

美濃焼は岐阜県東濃地方の土岐市周辺で古くから生産されている焼き物で、約1300年の歴史があります。この地域は陶器の原料となる良質な陶土に恵まれており、穴を掘って釜を作りやすい緩やかな丘陵地帯が焼き物の生産に適していました。安土桃山時代には茶の湯が流行し、千利休や古田織部のような茶人たちが美濃焼の黄金期を築きました。

岐阜県の食文化・有名な食べ物

岐阜県の食文化・有名な食べ物

続いて、岐阜県の主な食文化をご紹介いたします。

朴葉味噌

朴葉味噌は飛騨・高山地域の郷土料理です。朴葉の上に自家製の味噌を乗せ、ネギや椎茸などを混ぜて焼きながら食べます。あまりにおいしくてご飯が進み、家中のお米がなくなってしまうという意味で「朴葉味噌を三年続けると身上をつぶす」といわれるほどです。

鶏ちゃん(けいちゃん)

鶏ちゃんは下呂市、郡上市、中津川市や高山市南部の郷土料理です。鶏肉と野菜を味噌やしょうゆなどのたれに絡めて鉄板やジンギスカン鍋で炒めて食べます。かつては鶏肉が貴重だったため、特別な日の料理でした。現在は手軽に作れる郷土料理となり、お店や各家庭それぞれの味付けを楽しむことができます。たくさんの人に愛されている岐阜県民のソウルフードです。

イナゴの佃煮

海に面していない岐阜県では、貴重なタンパク源として古くからイナゴが食べられていました。濃いめに味付けして佃煮として食べられます。

漬物ステーキ

漬物ステーキは飛騨地方の郷土料理です。寒い冬は漬物が野菜代わりになりますが、凍ってしまうため、溶かすために朴葉に乗せて焼いたのが漬物ステーキの始まりといわれています。炒めた漬物を卵でとじて、鰹節やネギを添えて食べます。飛騨名物として観光客にも人気の郷土料理です。

栗きんとん

栗きんとんは中津川市の名物で、9月上旬から12月上旬にかけて和菓子店で販売されます。おせち料理の栗きんとんとは違い、一度蒸した栗の実を砂糖と炊き上げ、布巾で栗の形に絞った和菓子です。中津川市は県内有数の栗の産地であり、江戸時代には中山道が通ったことから宿場町として発展しました。茶の湯文化も盛んで、お茶に合う美味しいお菓子が次々と生み出された時代に特産の栗を使用した栗きんとんが生まれたといわれています。

岐阜県の伝統行事・まつり

岐阜県の伝統行事・まつり

岐阜県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。

高山祭

高山祭は春と秋の年に2回開催され、日本三大美祭のひとつに数えられます。春の高山祭は山王祭とも呼ばれる日枝神社の例祭で、例年4月14日・15日の2日間に渡って開催されます。一方、秋の高山祭は八幡祭と呼ばれる櫻山八幡宮の例祭です。毎年10月9日・10日の2日間に渡って開催されます。山王祭と八幡祭の総称が高山祭です。

「動く陽明門」と称される祭り屋台が春は12台、秋は11台曳き揃えられて豪華絢爛です。夜になると、屋台はそれぞれ100個の提灯を灯して町を巡ります。高山祭屋台は国の重要有形民俗文化財で、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」にも登録されています

古川祭

飛騨市の古川祭は気多若宮神社の例祭で、4月19日・20日の2日間に渡って行われます。古川祭も国の重要無形民俗文化財で、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」にも登録されています

古川祭は「静」と「動」の2つの特徴がある祭りです。神社本殿での神事「御神輿行列」、動の「起し太鼓」、静の「屋台行列」の3つの行事で構成されています。起こし太鼓は4月19日の夜に行われ、大太鼓を乗せた櫓を男たちが担いで駆け巡ります。櫓の上で大太鼓を打つ「太鼓打ち」は氏子たちの憧れで、一生に一回あるかないかの名誉なことです。大太鼓を乗せた櫓が動くと、各町内の「付け太鼓」とよばれる小太鼓が続きます。付け太鼓は大太鼓の櫓にもっとも近づけて進むことが名誉とされているため、大太鼓を目がけて突進する荒々しい攻防が夜中まで続きます。

古川祭の屋台は、江戸の屋台に飛騨の匠の技、京都のからくり人形が加わった東西文化の融合による独自の豪華絢爛な屋台です。屋台では、からくり人形や子供歌舞伎の奉納芸も行われます。

大垣まつり

大垣まつりは370年以上の歴史がある祭りです。八幡神社前で奉芸を行った後に13両の軕(やま)が城下町を巡行します。大垣藩主下賜(かし)のと町衆のが併存する全国的にも珍しい形態の祭りです。

ちなみに「軕」とは山車(だし)の類義語で、岐阜県西濃地方を中心に祭りで使われる独自の呼び方です。大垣祭りも平成27年に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年にユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録されています。

長良川の鵜飼

鵜飼とは、鵜を操って鮎を捕らえる漁法のことです。長良川の鵜飼は1300年以上の歴史があります。織田信長や徳川家康からも手厚く保護され、受け継がれてきた岐阜の伝統文化です。現代では、夏の風物詩として国内外を問わず多くの観光客が観覧に訪れます。

岐阜県の建築物・遺産

岐阜県の建築物・遺産

岐阜県の主な建築物や遺産は次のとおりです。

白川郷合掌造り集落

岐阜県大野郡白川村の萩村地区は、100棟余りの合掌造りが多く残り、現在も生活が営まれています。1976年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、1995年には富山県の五箇山とともに「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

合掌造りは手のひらを合わせるように木の梁を山形に組み合わせた建築様式で、勾配が急な茅葺き屋根が特徴です。積雪が多く雪質が重い白川郷の自然に適した構造になっています。

住所:岐阜県大野郡白川村荻町
公式サイト:【公式】白川郷観光協会 (shirakawa-go.gr.jp)

岐阜城

金華山の山頂に位置する岐阜城は、戦国時代には稲葉山城という名前で斎藤道三の居城でした。その後、織田信長が攻略して城主となり、「岐阜城」に改め、地名も「岐阜」と改称しました。現在の城は、昭和31年に復興されたもので、金華山一帯は「岐阜城跡」として国史跡に指定されています。

住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18番地 金華山頂
公式サイト: 岐阜城天守閣 施設案内|岐阜市公式ホームページ (gifu.lg.jp)

古い町並(飛騨高山)

商人の町として栄えた高山市の中心部に位置する上町、下町の三筋は、「古い町並」として国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。出格子が続く軒下には用水路が流れており、造り酒屋の軒下には「酒ばやし」と呼ばれる杉の葉で作られた玉が吊り下げられています。ノスタルジックな雰囲気をもつカフェや飲食店、老舗酒屋が立ち並び、タイムスリップした気分を味わいながら散策できて観光客に人気です。

住所:岐阜県高山市上一之町ほか
公式サイト:古い町並(国選定重要伝統的建造物群保存地区) | 飛騨高山観光公式サイト (hidatakayama.or.jp)

高山陣屋

江戸時代前期の飛騨国は金森氏を藩主とする高山藩の統治下でしたが、元禄5年に幕府直轄領になります。高山陣屋はもともと金森氏の下屋敷の一つでしたが、江戸幕府はここに役所を設置し、江戸から来た代官や郡代が飛騨の政治を行いました。ここでおふれを出したり、年貢の取り立てが行われたりしていたのです。

幕末には日本全国に60数ヵ所の陣屋があったとされますが、現在も当時のままに現存しているのは高山陣屋のみです。

住所:岐阜県高山市八軒町1-5 高山陣屋管理事務所
公式サイト:https://jinya.gifu.jp

県民の日

県民の日を制定している都道府県もありますが、岐阜県ではとくに「県民の日」を制定していません。制定していない都道府県も多いため、決して珍しいことではありません。

まとめ

岐阜県には日本の原風景といえる白川郷合掌造り集落や、江戸時代にタイムスリップしたような古い町並、高山陣屋など見どころがたくさんあります。また、金華山山頂には織田信長が天下統一の拠点とした岐阜城があり、JR「岐阜駅」前には黄金の織田信長公像も設置されています。

「天下分け目の戦い」といわれる関ヶ原の戦いが起こったのは、現在の岐阜県不破郡関ヶ原町。「岐阜関ケ原古戦場記念館」では古戦場・史跡巡りもできます。歴史好きな方はもちろん、ちょっと日常から離れて、懐かしくもあり目新しくもある文化・グルメを堪能し、岐阜県でしばし癒しの時を過ごしてみてはいかがでしょうか。

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