2019年10月19日 | お役立ち情報
あなたはすべて知っている?世界の七不思議を紹介!
世界には、「機械技術が発達していない時代に、よくこれだけ大規模のものがつくれたな」と感心せずにはいられない歴史的建造物が多数存在します。その規模に圧倒されながらも、誰が、何のために、はたまたどうやってつくったのか、といったことに興味を持たれる人も少なくないのではないでしょうか。
そこで今回は、数ある歴史的建造物の中でも、「世界の七不思議」と言われる古代建造物について解説するとともに、その他の建造物についても一部を紹介いたします。
今でいうガイドブックのようなものに記された7選
世界の七不思議がつくられたのは、古代ギリシャ・古代ローマ時代までさかのぼります。紀元前2世紀、ビザンチウムに暮らす古代ギリシャの数学者フィロンという人が書いた「世界七つの景観」の中で、古代の地中海地方に存在していた七つの巨大建造物を取り上げたことがはじまりとされています。
「世界七つの景観」は、旅行家でもあったフィロンが手掛けた今でいうガイドブックのようなものでした。それでは、当時の文明の高さを物語る、まさに人類の偉業とも言える古代建造物を見ていきましょう。
その1:ギザの大ピラミッド
有名なギザの大ピラミッドは、エジプトのギザの砂漠に建設された、世界の七不思議の中で唯一現存する建造物で、当時絶大な権力を誇ったクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3人によってつくられた3つのピラミッドのことを指します。
メンカウラー王のピラミッドは約65m。保存状態がよくエジプトでいちばん美しいピラミッドと言われているカフラー王のピラミッドは3つの中で中央に位置し、高さは約136m。クフ王のピラミッドは139mで、お墓として世界最大の規模を誇ります。
このピラミッドがつくられたのは、約4500年前の紀元前2530年頃とされ、ピラミッドがあるメンフィスとともに墓地遺跡として世界遺産に登録されています。
場所:現在のエジプト
完成時期:紀元前2530年頃
現状:現存
その2:ロドス島の巨像
かつてギリシャのロドス島には30mを超す巨人像が港をまたぐようにそびえていたそうです。紀元前300年頃、リンドスのカレスによって建造されたこの像は、太陽神「ヘリオス」をかたどったもので、全長34m、台座まで含めると約50mにもなり、ニューヨークの自由の女神に匹敵する大きさであったと言われています。
各所に施された秀逸なカラクリ
「人によってつくられた像として世界最大にして完全な形をしている」と世界の七不思議に選んだフィロンから称賛されたロドス島のヘリオス像は、その圧倒的な大きさはもちろん、各所に施されたカラクリが秀逸。
左手に剣を、右手には炎(器)を持っていて、その中には煮えた油や鉛が入っていて港に不法に入ってくる船に対しては、容器が傾いてその船をめがけて油や鉛が落とされる仕組みになっていたとか。さらに、巨像の内部には頭部まで続く螺旋階段があり、夜、頭部にある点火台に火がともされると、ちょうど巨像の目が光って見えたり、頭頂部が開きそこから油が放たれ敵を攻撃したとも言われています。
この巨像は港をまたぐように立っていたと信じられてきましたが、港の幅が約60mであることを考えると、その姿勢あと全長は約120m以上にも及び、構造的にも耐久性を問題視する見方が現れ、両足を開いて立っていたことは伝説であった可能性が出てきています。
場所:現在のギリシャ(エーゲ海南東部のロドス島)
完成時期:紀元前300年頃に建造
現状:消失
その3:エフィソスのアルテミス神殿
紀元前700年頃、現在のトルコの西海岸に存在した古代都市「エフィソス」に建造され、それから約400年間、その地に存在。アルテミスを奉った総大理石の神殿は、アテネのパルテノン神殿を上回る大きさだったとされています。
イギリス人のジョン・ウッド率いる大英博物館の考古学探検隊により、1863年から発掘が始まり、7年後の1869年12月におよそ7mの地下から神殿跡が発掘されました。
移動を繰り返した古代都市「エフィソス」
エフィソスは紀元前11世紀頃に誕生した都市で、紀元前6世紀には商業が栄え、人口は20万人におよぶほどでした。ただし、河口付近の港町であったことから、川上からの土砂が堆積する被害に見舞われ、そのたびに移動を繰り返していました。
紀元前700年頃の初期の建設以降、紀元前550年頃に建設された神殿は紀元前356年頃に放火によって消失。紀元前323年、アテネのパルテノン神殿(正面幅31m、奥行き70m、高さ10m)を上回るものをつくろうと、正面幅55m、奥行き115m、高さ19mの巨大神殿が建設されました。しかし、この神殿も紀元前263年に敵の侵攻の際に破壊。その後、川から流れ込む土砂で完全に埋まってしまいました。それから何世紀もの時を経て、1869年の発掘によって当時の様子がわかってきました。
場所:現在のトルコの西海岸
完成時期:紀元前700年頃
現状:一部(ひとつの柱のみ)現存
その4:オリンピアのゼウス像
紀元前435年、古代の高名な彫刻家であるペイディアスによって建造されたこの像は、古代オリンピックにおける奉納競技の本尊とされていました。金や象牙、黒檀や宝石で装飾された台座に座った全知全能の神「ゼウス」は、右手に勝利の女神であるニケの彫像、左手には鷲をまとった錫杖を持った姿をしていました。
座像でありながら、高さは約12m。その大きさについて、紀元前1世紀頃の地理学者ストラボンは「もし、ゼウス像が立ちあがったら、屋根を突き抜けてしまうだろう」と記すほどでした。
選ばれたのはゼウス”神殿”ではなくゼウス”像”
ゼウス像はゼウス神殿と呼ばれる高さ約27m、横幅約64mの巨大な建物の中に格納されていましたが、フィロンが世界の七不思議に選んだのはゼウス像でした。紀元前2世紀頃のローマの将軍「ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス」は、マケドニア征服の際にこの像を見かけ、あまりの神々しさに強い畏敬の念を感じたそうです。
建造から800年後の394年、オリンピアから当時のローマ帝国の首都ビザンチウムへ移動。ローマ帝国はキリスト教を国教として定めていたことから、ゼウス像は異教徒の手によって破壊されたとする説が有力視されています。
場所:現在のギリシャ
完成時期:紀元前435年頃
現状:消失
その5:バビロンの空中庭園
紀元前600年頃にバビロニア王国の首都バビロンに存在した階段状の庭園は、テラスにたくさんの植物が植えられ、当時の建物としては例を見ない高さであったことから、まるで空中に庭園があるように見えたと言います。
紀元前538年、アケメネス朝ペルシアの侵攻により破壊されたと考えられ、伝説上の存在となっていましたが、20世紀初頭にドイツ人考古学者であるロベルト・コルデヴァイによる発掘調査の結果、空中庭園のものと見られる遺跡が発見されました。
最上部は100m以上の高さ
空中庭園は縦横約400m×高さ15mの土台を築き、その上にピラミッド式に積み上げるといった構造で最上部は100m以上あったと言います。
建造のいきさつは、バビロン王であるネブカドネザル2世が、故郷を懐かしむ妻のアミュティスを慰めるために、自然豊かな彼女の故郷の雰囲気をこの空中庭園で再現したと言われています。
場所:現在のイラク(バグダットの郊外)
完成時期:紀元前600年頃
現状:空中庭園の跡地が現存
その6:ハルカルナッソスのマウソロス霊廟(れいびょう)
紀元前377年~紀元前353年にかけて小アジア西部のカリア国を統治したアケメネス朝ペルシアの州知事マウソロス。この霊廟は、マウソロスと妻のアルテミシアの遺体を安置するために、妻のアルテミシアによって建造が進められ、マウソロスの死から3年後、妻の死から1年後の紀元前350年頃に完成。大理石の霊廟には、美しい彫刻が施されていたそうです。
1856年、大英博物館は考古学者であるチャールズ・トーマス・ニュートンを送り、マウソロス霊廟の遺跡を調査。現在、大英博物館には、ニュートンたちが見つけた遺物や、十字軍が入手後にイギリス大使の手に渡ったマウソロス霊廟の彫刻などが収蔵されています。
場所:現在のトルコのボドルム
完成時期:紀元前350年頃
現状:跡地のみ
その7:アレクサンドリアの灯台
紀元前3世紀頃、エジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造。アレクサンドリア周辺には平坦な土地が広がっていて、航海や入港の際に目印となるものがなかったことから、時のプトレマイオス一世が灯台の建設を決定しました。巨大な大灯台は50km遠方の船からその光を確認できたと言います。
紀元前305年から工事が始まり、完成したのはプトレマイオス二世の時代でした。灯台の高さは約134m。頂上には鏡が置かれ、これに太陽の光を反射させたり、夜間は炎を燃やして反射させていたそうです。
796年の地震で大灯台は半壊。1303年、1323年に起こった地震で完全に崩壊。1480年頃に灯台の残骸を用いてカーイト・ベイの要塞が建造され、大灯台は完全に消滅しました。
場所:エジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島
完成時期:紀元前350年頃
現状:消失
世界の七不思議以外にもある気になる建造物
世界には「世界の七不思議」以外にも、見る人を驚愕させる歴史的建造物がたくさんあります。ここでは、その一部を紹介いたします。
万里の長城
その長さは21,196kmという圧倒的スケールを誇るのが中華人民共和国に存在する「万里の長城」。秦の始皇帝によって大きく整備された城壁は、紀元前700年頃の春秋時代から明代まで約2000年以上もの歳月をかけ造成されてきました。現存するもものはおよそ600km。1987年、ユネスコの世界遺産にも登録され、保全活動が進められています。
マチュピチュ
15世紀に南米ペルーで栄えたインカ帝国の遺跡「マチュピチュ」は、1983年、世界遺産に登録。Machu Picchu=「高い峰」の通り、標高2,280mの山頂部にあることから「天空都市」とも呼ばれています。インカのパチャクティ王の時代である1440年頃に建設が始まり、1532年、スペイン人によって征服されるまでの約80年間、人々の暮らしが続いたようです。
コロッセオ
紀元72年、古代ローマ時代に娯楽目的でつくられた円形闘技場「コロッセオ」。長径188m、短径156mの楕円形で高さは48m、約5万人を収容できたと言われるローマを代表する歴史建造物は、1980年世界遺産に登録。闘技場の一部が削られたような姿をしていますが、これは18世紀頃に石材を切り出して別の用途に使用されたために削られたと言われています。
清水寺
日本の古都、京都の東山区清水にある寺院「清水寺」。寺院の多い京都でも数少ない平安京遷都以前から続く清水寺は、「古都京都の文化財」を構成するひとつとして1994年に世界遺産に登録されました。
「清水の舞台から飛び降りる」という有名な言葉となった舞台の高さは、約12mでビルの4階に相当するほど。この言葉はもともと願掛けの意味を持ち、その昔、清水寺の本尊である観音菩薩に命を預けて清水の舞台から飛び降り、助かれば願いが叶い、死んでも成仏できるという云われがあったそうです。
まとめ
今回ご紹介した建造物以外にも、世界にはまだまだ見る人の度肝を抜く歴史的建造物が存在します。電動式クレーンなどの重機がなかったはるか昔、人の手によってつくられた巨大な建造物には、多くの謎とともに太古の歴史へのロマンが詰まっています。
ぜひ、この機会にまだあまり知られていない世界の歴史的建造物について調べてみてはいかがでしょうか。