2022年7月10日 | お役立ち情報
千葉県ってどんなところ?千葉の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「千葉県」です。過去には有力な武将が地域を治め、漁業や醸造業を中心に発展した千葉県。近年では、世界に名をとどろかせたニュースも聞かれました。全国的に知られる文化や、豊富な観光スポットがぎっしり詰まった千葉県の魅力をお楽しみください。
千葉県の基本情報
はじめに、千葉県の基本情報をご紹介いたします。
歴史と産業
縄文時代の千葉県は半島ではなく、入り組んだ海外線が続く島のような状態だったと推測されます。県内で発掘される貝塚の多くは、当時の海に近い場所と考えられています。古代の利根(とね)川の流域には「香取(かとり)海」と呼ばれる広い内海があり、水上交通が発達していました。
千葉県はかつて麻(あさ)を意味する「総(ふさ)」の国と呼ばれ、645年の大化の改新で北部に「下総国(しもうさのくに)」、中央部に「上総国(かずさのくに)」が誕生し、一時期は南部に「安房国(あわのくに)」も存在しました。
平安時代には、天皇の子孫である桓武平氏(かんむへいし)が勢力を強め、後に千葉氏(うじ)を名乗る平忠常(たいらのただつね)が支配しました。鎌倉時代は千葉氏や足利(あしかが)氏、南北朝時代は千葉氏や新田(にった)氏、上杉氏、戦国時代は武田氏や後北条(ごほうじょう)氏、里見(さとみ)氏などの名だたる武将が勢力争いを繰り広げます。
江戸時代に入ると、下総には佐倉(さくら)藩や古河(こが)藩など、上総には一宮(いちのみや)藩や大多喜(おおたき)藩などと小藩を含めて最大で25の藩が誕生。徳川家康が利根川の治水に着手して町づくりを進める中、漁業や醸造業、農業、木綿の生産などが発展しました。
明治4年の廃藩置県(はいはんちけん)で24の県が生まれ、同年に上総と安房の地域が木更津(きさらづ)県、下総が印旛(いんば)県となった後、同6年に両県が合併して千葉県が誕生しました。同27年には市川~佐倉間に最初の鉄道が開通し、戦後は臨海地域に鉄鋼や石油などの重化学工業が進出します。
昭和53年に成田国際空港が開港、平成9年に東京湾アクアラインが開通。令和2年には、市原(いちはら)市にある断層が貴重な資料として世界的に認められ、地質上の年代に「チバニアン」の名前が付けられました。さらに、同年に習志野(ならしの)市に落下した隕石(いんせき)が「習志野隕石」として登録され、科学的な分野でも注目を集めています。
面積と人口
千葉県の面積は約5,157㎢で、関東の1都6県の中では4位、全国では28位の広さです。千葉県は37市・16町・1村から成り(令和4年4月現在)、「千葉市」と「市原市」に加えて以下の10の地域で構成されます。
- 市川(いちかわ)市などの「葛南(かつなん)地域」
- 松戸市などの「東葛飾(ひがしかつしか)地域」
- 成田市などの「印旛地域」
- 香取市などの「香取地域」
- 銚子(ちょうし)市などの「海匝(かいそう)地域」
- 東金(とうがね)市などの「山武(さんぶ)地域」
- 茂原(もばら)市などの「長生(ちょうせい)地域」
- 勝浦(かつうら)市などの「夷隅(いすみ)地域」
- 館山(たてやま)市などの「安房地域」
- 木更津市などの「君津(きみつ)地域」
千葉県の人口は6,265,781人で、全国で6番目の多さです。県内でもっとも人口が多い市は千葉市(976,489人)で、船橋市(643,806人)、松戸市(496,073人)と続きます(令和4年3月1日現在)。
県の位置と県庁所在地
千葉県は東経がおよそ130~140°、北緯がおよそ34~36°に位置します。北を除く三方は海に面しており、海岸線の長さはおよそ531kmに及びます。千葉県は黒潮の影響を受けるため、冬は暖かく過ごしやすい気候が特徴です。県の中央には、なだらかな房総丘陵が連なります。
千葉県の県庁所在地は千葉市で、千葉市動物公園や幕張メッセなどの観光スポットがあります。
県名の由来
「千葉」の名は万葉集に「知波」として登場したことがはじまりで、由来については下総の国主の領土に植えた「千葉(せんよう)の花樹」や、たくさんの葉が生い茂る様子などの説が伝えられています。
古い地名については、四国の阿波(あわ)から海を渡って来た人々が植えた麻がよく育ったことから、麻を意味する「総」の字が用いられました。また、阿波の人々が住みついた場所を「安房」にしたとされています。
千葉県の文化
千葉県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。
加曽利貝塚(かそりかいづか)
今から4000~5000年前の縄文時代に築かれた貝塚で、直径がおよそ140mのドーナツ状の北貝塚と、長径がおよそ190mで馬のひづめのような形の南貝塚から成り、貝塚の周囲には人々が生活した形跡が残ります。現在は加曽利貝塚縄文遺跡公園として整備され、およそ15.1haが国の特別史跡に指定されています。
日蓮聖人(にちれんしょうにん)
日蓮は仏教の一宗派である「日蓮宗」を開いた鎌倉時代の僧で、貞応(じょうおう)元年に鴨川市小湊(こみなと)片海(かたうみ)に生まれました。降誕の際は海に鯛(たい)が集まったという伝説から、現在も妙(たい)の浦では鯛を捕獲しないとされます。生家の跡地に建つ誕生寺や、出家した清澄(せいちょう)寺も観光スポットとして知られます。
矢切の渡し(やぎりのわたし)
松戸市下矢切(しもやきり)と東京都葛飾区柴又(しばまた)を往復する渡し船のことで、発祥の歴史は江戸時代までさかのぼります。当時は江戸の出入りに厳しい規制がありましたが、江戸川の両岸の田畑で耕作する農民は船で自由に往来ができました。小説や歌謡曲、映画で全国的に広まり、現在は観光で乗船できます。
南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)
江戸時代の作家である曲亭馬琴(きょくていばきん:滝沢馬琴のペンネーム)が28年をかけて書いた長編小説で、106冊180回から成ります。室町時代の下総国を舞台に、安房里見家の姫と八犬士(はちけんし)と呼ばれる8人の若者が繰り広げる物語で、昭和58年には原作を基にして映画化されました。館山城内の博物館では、関連する資料を展示しています。
房州(ぼうしゅう)うちわ
竹の骨組みと美しい絵柄が特徴の房州うちわ。かつて房州と呼ばれた安房国は、竹の産地として知られました。明治時代の初期に、那古(なご)地区で竹を割る技術を用いたうちわの骨作りがはじまったとされます。関東大震災で被害を受けた都内の問屋が、交通の便がよい船形(ふなかた)に移住してから生産が拡大しました。
千葉県の食文化・食べ物
続いて、千葉県の主な食文化をご紹介いたします。
しょう油・みりん
千葉県は日本を代表するしょう油の一大拠点で、生産量は全国で第1位を誇ります。主な生産地である野田市と銚子市では江戸時代からしょう油を醸造し、利根川を利用して江戸へ運びました。また、江戸川の開削や米の産地などの好条件がそろった流山市は、みりんの生産地として発展し現在も技術が受け継がれています。
落花生(らっかせい)
国内産の落花生はおよそ8割が千葉県産で、収穫量のトップは八街(やちまた)市です。古くから沖縄で収穫されていた落花生は明治に入って本州に伝わり、千葉県では明治9年に現在の山武市で栽培されたことがはじまりとされます。後に旭(あさひ)市や八街市などに広がり、土壌が適していた八街市に定着して独自の品種が開発されました。
びわ
千葉県はびわの産地としても知られ、産出額は長崎県に次いで第2位です。千葉県産のびわは大粒でみずみずしい点が特徴で、果実に1つずつ袋をかけて栽培します。千葉県では宝暦(ほうれき)元年に栽培がはじまったとされ、江戸時代の中期には「房州びわ」として江戸に出荷されました。果実だけでなく、ジャムやアイスなどの加工品も人気があります。
なめろう・さんが焼き
国内の漁獲量が日本一の銚子(ちょうし)港は、イワシやサバ、ブリ、アジなどの魚が多く水揚げされます。海鮮料理の中でも、千葉県の沿岸に伝わる「なめろう」は全国的にも知られる郷土料理の1つです。
なめろうとはアジやイワシ、サンマなどを刻み、みそやネギ、しょうがなどを加えてさらにたたいて仕上げたものです。「皿をなめるほどおいしい」などが語源で、漁師が船上で調理する料理として考案されました。「さんが(山家)焼き」はなめろうをアワビの殻に入れ、山小屋で焼いて食べたことから名付けられました。
くじらのたれ
江戸時代から南房総に伝わる保存食で、くじらの肉をスライスして独自のたれに漬け込み、干したものを炙(あぶ)って食べます。かつて国内では各地で捕鯨漁がおこなわれ、くじら肉は一般家庭で親しまれた食材の1つでした。従来のものは硬めですが、近年では厚切りでソフトなタイプや焼かずにそのまま食べられるタイプもあります。
千葉県の伝統行事・祭り
千葉県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。
佐原(さわら)の大祭
7月の八坂神社祇園祭と10月の諏訪神社秋祭りの総称で、「佐原の山車行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。「佐原囃子(はやし)」を奏でながら、夏祭りは10台、秋祭りは14台の彫刻がほどこされた山車(だし)を曳き廻します。関東3大山車祭りの1つで、起源は諏訪祭がはじまった享保(きょうほう)6年とされます。
上総十二社(かずさじゅうにしゃ)祭り
9月に開催される長生郡一宮(いちのみや)町の祭りで、県の無形民俗文化財に指定されています。例大祭では、上半身が裸の男性が5つの神社の9基の神輿(みこし)を担ぎ、釣ヶ崎(つりがさき)の海に集結します。年に1度、玉前(たまさき)神社の神が上陸した海に一族の神が集まるという伝説を基にして、大同(だいどう)2年にはじまりました。
八剱八幡(やつるぎはちまん)神社例大祭
日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀(まつ)る木更津市の八剱八幡神社は、7月に例大祭を開催しています。「関東一の大神輿」「関東三大神輿」と称される重さがおよそ1.5トンの美しい神輿が、2日間かけて町内を巡行(じゅんこう)します。享保の時代の書物にも登場する古い祭りで、現在の神輿は嘉永(かえい)3年に創建されました。
成田祇園祭
江戸時代から伝わる成田市の7月の祭りで、成田山新勝(しんしょう)寺で五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈願する「成田山祇園会(ぎおんえ)」が起源です。お囃子とともに巡行する神輿や豪華な山車のほか、着物と花笠を身にまとい、錫杖(しゃくじょう)を持った子どもたちによる手古舞(てこまい)も見どころです。
やっさいもっさい踊り
8月に開催される「木更津港まつり」のイベントの1つで、「やっさいもっさい」とは木更津の民謡の囃子言葉です。「おっさ、おっさ、おっさ」の掛け声とともに踊り手が練り歩くシーンがドラマなどに登場し、全国的に知られるようになりました。木更津港まつりは、築港などに関わった人々の霊を慰めるため、昭和23年に第1回が開催されました。
千葉県の建築物・遺産
千葉県の主な建築物や遺産は次のとおりです。
意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を祀り、平安時代の法律書である「延喜式(えんぎしき)」にも登場する歴史的な神社です。景行(けいこう)天皇40年に創建され、4,350坪の広大な敷地には本殿や拝殿などのほか39の神社が建ち並びます。「意富比」とは古い読み仮名や歴史的な観点から、太陽の神を意味する説が有力とされます。
住所:船橋市宮本5-2-1
公式サイト:http://www.oohijinja.jp/index.html
成田山新勝寺
全国でも有数の寺院で、広大な敷地には荘厳なたたずまいの総門や大本堂、三重塔などのほか、四季ごとに異なる景観を楽しめる公園や書道美術館などが整備されています。平安時代に弘法大師(こうぼうだいし)が礼拝しながら彫り上げた不動明王像を本尊として、天慶(てんけい)3年に僧の寛朝(かんちょう)が開山しました。
住所:成田市成田1
公式サイト:https://www.naritasan.or.jp/
佐倉(さくら)武家屋敷
県内で最大の藩が置かれ、城下町として栄えた佐倉市。当時の面影が色濃く残る通り沿いでは、武家屋敷の「旧河原家住宅」(県の指定文化財)、「旧但馬(たじま)家住宅」(市の指定文化財)、「旧武居(たけい)家住宅」の3棟が公開されています。旧但馬家住宅を除く2棟は移築したものですが、すべて江戸時代の後期に佐倉藩の藩士が住んでいた建物です。
住所:佐倉市宮小路町57
公式サイト:http://www.city.sakura.lg.jp/0000000617.html
利根運河
流山市と柏市、野田市を流れる全長が8.5kmの運河で、「近代化産業遺産」と「選奨土木遺産」に認定されています。利根川と江戸川を結ぶバイパスをオランダ人技師が計画し、民間の会社が建設を手掛けて明治23年に完成しました。およそ50年間重要な航路として利用され、現在は利根運河水辺公園、資料館などが整備されています。
利根運河交流館
住所:流山市西深井836
公式サイト:https://www.tone-unga.com/
東京湾アクアライン
木更津市と神奈川県川崎市を結ぶ全長が15.1kmの有料道路で、およそ10kmが海底トンネル、およそ5kmが橋りょうの構造です。トンネルから橋りょうに変わる部分は、「海ほたる」と呼ばれる海上のパーキングエリアがあります。口径が14.14mの巨大シールドマシンなどの最新の技術を駆使し、およそ10年の歳月をかけて平成9年に完成しました。
海ほたる
住所:木更津市中島地先海ほたるパーキングエリア
公式サイト:https://www.umihotaru.com/
千葉県の県民の日
千葉県の県民の日は、6月15日です。明治6年6月15日に当時の木更津県と印旛県が合併して千葉県が生まれたことに由来し、昭和59年に制定されました。県民の日には、県内の施設の無料開放や割引に加えて、各種のイベントなどを開催しています。
まとめ
今回は、千葉県の概要や各種の文化と伝統行事、建築物などについてご紹介いたしました。歴史や文化が自然と調和し、テーマパークなどの観光スポットも豊富な千葉県は、都心へのアクセスがよい点も大きな魅力です。この機会に、愛らしいマスコットキャラクターが迎える千葉県にぜひお出かけください。