沖縄県ってどんなところ?沖縄の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

沖縄県ってどんなところ?沖縄の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

日本に住んでいるのにまだ訪れたことのない場所は、結構あるものではないでしょうか。南北に伸び四方を海に囲まれた日本には、四季折々の豊かな自然と、各地の気候風土のなかで生まれた豊かな文化があります。こうした日本各地のさまざまな魅力をお伝えするため、47都道府県を南から順に、毎月1県ずつスポットをあててご紹介していきます。

まずは、日本の最南端にある県「沖縄県」からスタートです。沖縄といえば、真っ青のきれいな海を思い浮かべる方も多いと思います。かつて独自国家として栄え、そのなかで発展してきた沖縄には、独特な文化や歴史があります。日本なのに、どこか異国の雰囲気が漂う沖縄。その魅力や見どころについて解説いたします。

沖縄県の基本情報

沖縄県の基本情報

かつて沖縄は、琉球王国という独立国家でした。1429年以後約450年間琉球王朝の時代が続き、1875年(明治8年)の廃藩置県により、1879年に「沖縄県」となりました。その後、1945年(昭和20年)から1972年(昭和47年)までの約27年間、沖縄はアメリカの統治下におかれていました。当時の通貨は円ではなくドル、車も左ハンドルで右側走行が基本とされ、沖縄から本土へ渡る際にはパスポートと渡航証明書が必要でした。そして、1972年(昭和47年)515日の沖縄返還(正式名称:琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)によって日本に復帰しました。

沖縄県は、鹿児島県の薩南諸島を除く南西諸島の島々(沖縄諸島、先島諸島、大東諸島など)から構成されています。国土面積は2,281㎢。都道府県のなかでは4番目に小さな県で、人が居住する日本最南端の地域を含む県です。2021年2月1日現在の推計総人口は1,460,718人(平成27年国勢調査確報値に基づく推計人口)で、その約9割が沖縄本島に集中、さらに本島南部に県人口の8割が集中しています。

【参考】沖縄県の推計人口

どこに位置しているか、県庁所在地など

地図上で位置を確認したときに、思っていたより九州から離れていると感じた方もいるのではないでしょうか。沖縄県の位置は、本土と東南アジアとのほぼ中間地点にあたります。南西諸島の南半分に位置し、およそ北緯2428度、東経122132度まで、距離にして南北約400km、東西約1,000kmにおよぶ広大な海域に散在する大小160の諸島から構成されています。県庁所在地である那覇市には那覇空港があり、沖縄の玄関口としてたくさんの観光客が降り立ちます。

終戦後アメリカの統治下にあったことから、那覇市の中心地である国際通り周辺には、ハンバーガーショップやステーキハウス、アロハシャツのお店などがあり、アメリカっぽい雰囲気を漂わせています。

【参考】沖縄の位置/沖縄県

県名の由来

沖縄という県名は、「沖合いの漁場=おき(合いの)な(魚)は(場)」の意味に由来する説や、「沖にある場所」や「遠い場所」を意味する「おき(沖)なは(場所)」の意味に由来する説があるといわれます。「沖縄」は、もともと沖縄本島を指す言葉でしたが、沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入、さらに沖縄諸島、先島諸島全域が「沖縄」と呼ばれるようになり、広義に解釈されるようになったといわれています。

沖縄県の文化

沖縄県の文化

かつては琉球王国という独立国家として栄え、終戦後はアメリカの統治下にあった沖縄には、この地ならではの独特の文化があります。

三線、泡盛、紅型など沖縄を代表する嗜好品や伝統工芸は、中国や東南アジアとの貿易が活発に行われていた琉球王国の時代に伝わったものとされ、沖縄土産として人気の琉球ガラスなどは、終戦後のアメリカ軍占領がきっかけで誕生した工芸品のひとつです。

各店舗にも英語表記が多く、言語としても英語が広く使われています。また、古くから伝わる「琉球語」や島の言葉を意味する「しまくとぅば」といった独自の言語があります。

三線

祭りや祝い事などには欠かせない三線(さんしん)ですが、もとは中国福建省で生まれた弦楽器「三弦(さんすぇん)」を原型に独自に発展させたもので、のちに琉球から大和(堺)に伝えられ、三味線として普及していったといわれています。胴の部分にはニシキヘビの皮が張られ、胴の尻から棹の先に張られた3本の弦を弾いて音を奏でます。

紅型

紅型(びんがた)は、沖縄を代表する伝統的な染色技法です。琉球王国の時代、王族たちの衣装などに用いられたとされ、当時は首里城のまわりに染屋が置かれていました。「紅」は色を、「型」は模様を指すといわれます。

琉球語

「めんそーれ」や「なんくるないさー」など、沖縄には独特な言葉があります。こうした言葉はこの地に古くから伝わる言葉として「琉球語」や「琉球方言」などと呼ばれ、島の言葉という意味で「しまくとぅば」などとも呼ばれています。もともと本土と同じ言葉だったものが奈良時代のころに分かれ、島のなかで独自に発展していったものとされます。たとえば、「いらっしゃい」を意味する「めんそーれ」は、「参(まえ)り候(そうら)え」の変化したものであるといわれます。このように、聞いただけでは理解できない言葉も、その意味を知ると日本語との関連性があることが分かります。

【参考】沖縄の方言/沖縄県

沖縄赤瓦

きれいな赤瓦(あかがわら)は沖縄建築の象徴ともいえ、首里城などの歴史的建造物や住宅の屋根などに用いられています。この瓦は、「クチャ」という灰色の泥岩を使ったものです。鉄分を多く含んでいるため焼き上げる際に酸化して赤くなり、趣のある雰囲気を醸しています。赤瓦を漆喰でつないで用い、台風の被害から屋根を守っています。

シーサー

沖縄といえば、真っ先にシーサーを思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。家の守り神として門柱や屋根などに置かれ、小さな置物は沖縄土産としても人気です。シーサーとは沖縄の言葉でいう「獅子」のことで、その昔、火事を防ぐため八重瀬岳に置かれた獅子の像がはじまりとされています。シーサーには口を開けているものと閉じているものがあり、口が開いているほうを正面から見て右、閉じているほうを左に置くのが基本の置き方とされています。

沖縄県の食文化・食べ物

琉球王国の時代から中国や東南アジアなどと交流があったため、食生活面でもそれらの国々から影響を受けてきました。特に中国の影響が大きかったことから、沖縄では豚肉中心の料理が多く食べられてきました。ラフテー(豚肉の角煮)やティビチ(豚足の煮込み)、ソーキ(アバラ骨部分の煮込み)、ミミガー(豚の耳)などの豚肉料理はおなじみです。

ほかにも、ソーキの入ったソーキソバや、ゴーヤチャンプルーなども沖縄を代表する食べ物といえます。「チャンプルー」は「混ぜこぜにしたもの」という意味をもつ沖縄の方言で、ゴーヤに限らず、独特な風味をもつ島豆腐を使った炒め物のことを指しますが、なかには豆腐を使っていなくてもチャンプルーと呼ばれることもあり、明確な定義はないようです。

また、沖縄でお酒といえば泡盛がおなじみですが、これは琉球諸島で造られる蒸留酒のことです。主原料となる米には、タイ米が用いられています。泡盛という名前の由来は、蒸留の際、導管から垂れて受壷に落ちるときに泡が盛り上がる状態から「泡盛(あわもる)」となり、それが転じて「泡盛(あわもり)」になったという説があります。

ほかにも、「もり」はお酒を意味する古語であり、タイ米が使われるようになる前は米と粟(あわ)を原料にしたことから「粟もり」が転じて「泡盛」となったなど、諸説あるといわれています。

沖縄県の伝統行事・祭り

沖縄県の伝統行事・祭り

県民に親しまれ盛り上がる沖縄の伝統行事といえば、「エイサー」や「ハーリー」、「大網挽き」です。これらの行事を目当てに沖縄を訪れる人たちも多いといわれます。

エイサー

現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、大勢が伝統の衣装を身にまとい、太鼓を叩き、歌やお囃子に合わせて踊りながら沿道を練り歩きます。本来は旧盆の伝統行事ですが、6月~9月頃にかけてさまざまなエイサーがおこなわれます。地域のエイサーから、那覇市の国際通りでおこなわれる1万人規模のエイサー、全島から踊り手が集まるエイサーなど大規模なスケールのものまで、規模や楽しみ方もさまざまです。

ちなみにエイサーの由来は、浄土宗系念仏歌に挟まれるお囃子のひとつ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」からきているという説があります。

ハーリー

海の神様への豊漁祈願のために行われる「ハーリー」も人気の行事です。「沖縄の古典ハーリー」には、装飾された爬龍船(はりゅうせん)に漕ぎ手10~20人が乗り込み競漕する「アガリハーリー(アガイスープ)」や、船を転覆させてから乗組員たちがひっくり返して乗り込み競漕する「転覆ハーリー(クンヌカーセー)」、さらに、乗組員が沖縄の古典衣装をまとい、ハーリーの唄を歌いながらゆっくりと漁港をひと回りする「御願バーレー」の3種類があります。これらは昔ながらの御願儀礼で、「沖縄の古典ハーリー」の場合は1日にこの3種目が開催されます。

大網挽

琉球王朝時代の那覇四町網の伝統を引き継ぐ沖縄の伝統行事で、なかでも「那覇大綱挽」は那覇市の国際通りがたくさんの人々で埋め尽くされる沖縄最大級のイベントです。発祥は1450年頃、もとは稲作のための雨乞いや五穀豊穣を願う地方の農村行事としておこなわれていました。大綱挽は、女綱と男綱の2本の巨大な綱をかぬち棒で結合させ、東西に分かれて引き合いますが、その迫力と人々の熱狂は圧巻です。那覇大綱挽のほかにも、糸満大綱引や、与那原綱曳まつりなどがあります。

沖縄県の建築物・遺産

沖縄県の建築物・遺産

かつては琉球王国として栄えた沖縄には、世界遺産にも登録されている数々の建築物や文化遺産があります。ここでは観光スポットとしても人気の建築物などをご紹介いたします。

首里城

首里城といえば、守礼門が二千円札の絵柄になったことでもおなじみです。かつて中国や日本、東南アジアと盛んに交易していた琉球王国において、首里城は王国の政治や外交、文化の中心地とされていました。1945年の沖縄戦で消失してしまうものの、1992年に沖縄の本土復帰20周年を記念して国営公園として復元。中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組みの技術などが評価され、200012月に世界遺産として登録されました。

2019年10月、火災により首里城正殿ほかの建物8棟が焼損しました。早期の復旧・復興が、心から待たれるところです。

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)

琉球王朝の時代、沖縄の本島は3つの勢力に分かれ、北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山が支配していました。今帰仁城は北部にあり、北部を支配していた北山王が拠点としていたグスク(城)でした。のちに中山の尚巴志に滅ぼされ、1422年以降は中山の北部地域管理のため、今帰仁城に看守が置かれました。1906年、薩摩軍による琉球侵攻で城の建物部分が燃えてしまったとされます。今帰仁城跡は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストにも登録されています。

ひめゆりの塔

糸満市にあるこの塔は、沖縄戦で看護要員として戦場に動員され亡くなった、「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔です。この悲しい出来事は映画化もされ、沖縄戦の悲劇を世に伝えています。

平和記念公園

ひめゆりの塔から車で5分くらいのところにあり、ひめゆりの塔と同じく沖縄戦最大の激戦地となった糸満市につくられました。広大な園内には、「鎮魂・祈り・平和」をテーマに墓苑や慰霊塔などが点在し、沖縄戦の資料館や祈念堂なども建てられています。

沖縄県の県民の日

623日は「慰霊の日」と呼ばれ、沖縄戦で犠牲となった方たちへの哀悼の意と世界平和を願う、沖縄県民にとって特別な休日です。

1945年のこの日、現地の司令官だった牛島満中将が自決、沖縄県はこの死をもって日本軍による組織的戦闘が終結した日とし、平和を願う記念日にしたといいます。慰霊の日にはさまざまな行事がおこなわれていますが、代表的なものが「沖縄全戦没者追悼式」です。沖縄戦で犠牲となった人々を偲び、世界平和を願いつつ祈りを捧げます。

まとめ

きれいな海や、そこに暮らす人々のおおらかな性格など、どことなく穏やかでのんびりとした印象の沖縄ですが、その歴史の背景には戦争による多くの悲しみがあります。また、琉球王国時代に中国や東南アジアなどと交易し、終戦後はアメリカの統治下に置かれるなど、諸外国からの影響を柔軟に取り入れながら独自の発展を遂げてきました。

日本であるのに、どこか異国のように感じられる独特の雰囲気、それが沖縄の大きな魅力にもなっているといえるでしょう。

「For your LIFE」で紹介する記事は、フマキラー株式会社または執筆業務委託先が信頼に足ると判断した情報源に基づき作成しておりますが、完全性、正確性、または適時性等を保証するものではありません。

こちらの記事もオススメです!