2019年11月16日 | お役立ち情報
お酒ってなんだ?・・ウイスキー編(1)
忘年会や新年会のシーズン。とりあえずビール・・・でも食がすすむとワインや日本酒、そして焼酎やウイスキーと飲むお酒の種類も多彩になってきます。日本人はどれだけお酒を飲むのでしょうか?
国税庁が毎年3月に発表する「酒のしおり・平成31年版」によると、日本人の飲みっぷりについて、こんな風にまとめています。
「人口は平成20年の1億2808万人をピークに減少過程に入っている。お酒を飲む習慣のある人は男女とも30歳代から大幅に増加し、70歳以上で減少傾向にある。(平成28年国民生活基礎調査・厚生労働省)また、成人1人あたりの酒類消費量は平成4年度の101、8リットルをピークに減少傾向にある。このような環境変化の中、お酒の国内出荷数量(課税移出数量)は平成11年の1017万キロリットルをピークに減少している」
酒のしおり・平成31年版
そんな中にあって、ウイスキーは2007年にその減少傾向の底を打ち、以来今日に至るまで毎年ぐんぐん消費を増やしています。そしてここ数年は世界的なウイスキーブームと言われるに至っています。
今回は「ウイスキー」にまつわる話を色々とご紹介したいと思います。
そもそもウイスキーとは
ウイスキーの定義は、それぞれの生産国によって異なっており、さまざまな原料や製造方法、熟成の年数などが定められています。
日本では「発芽させた穀類及び水を原料として糖化させて発酵させたアルコール含有物を蒸留したもの」(酒税法による種類の分類及び定義・国税庁酒のしおり平成31年版から)とあります。
もう少し細かく言えば、「大麦などの穀類を原料として糖化・発酵させ、まずビールのようなアルコール分7〜9パーセント程度の酒を作り、それをポットスチルといわれる蒸留釜で2回蒸留。
その高いアルコール分の液体を、木の樽で何年も貯蔵し熟成させた酒」です。
この木の樽でじっくり熟成することで、琥珀色の美しく、そして香り豊かなウイスキー独特のうまさ、風味が生まれるのです。
ウイスキーはいつ頃どこで生まれたのか?
ウイスキーは、スコッチウイスキーで有名なスコットランド、そしてそのお隣のアイルランドのアイリッシュウイスキーのどちらかが「起源」であるといわれています。昨今、アイルランドで芽生え、それがほぼ同時期にスコットランドに伝わったのでは、という意見がやや有力です。しかし、もちろん現在でも双方譲らず、確たるところは霧の中です。
いずれにせよウイスキーに必要な、アルコール度数を圧倒的に高める「蒸留」という技術は、もともと8世紀ごろに中近東で行われはじめ、十字軍の遠征でヨーロッパに伝わったといわれています。
これが15世紀ごろまでにアイルランド、スコットランドに伝わりました。しかし、これは飲む為のものではなく天然痘などの治療のために使われていたようです。
この蒸留液をラテン語で「生命の水」(aqua vitae.アクア・ヴィテ)と言い、これがウイスキーの語源となっていきます。今でもウイスキーのCMで、よく「生命の水」という言葉が使われるのはこのためだと思われます。
アイリッシュウイスキー・スコッチウイスキーの誕生
1506年、スコットランド王のジェームズ4世がウイスキー好きだといわれ、当時、ウイスキーの生産を独占していたギルドの外科医から、大量に購入しました。また、1536年から1541年にかけてイギリスのヘンリー8世が修道院を解散。その修道士たちが生きるためにウイスキーの製法を「民間」に伝え、ウイスキーを製造しようとする人たちが生まれました。
この頃のウイスキーは蒸留しただけで貯蔵・熟成がなく無色透明のスピリッツ(焼酎のようなもの)です。
1608年、北アイルランドのオールドブッシュミル蒸溜所(Old Bushmills Distillery)がジェームズ1世から許可を受けた(正式な登記記録は1784年)ことから世界で最古の蒸溜所をうたっています。(稲富博士のスコッチノートから。80歳を過ぎて今尚グラスゴーでウイスキー研究を続ける博士は、アイルランドからスコットランドに技術が伝わったとしても不思議ではない、と書いておられます)
いずれにせよこの頃のアイルランドかスコットランドにウイスキーの起源がありそうです。
密造酒が生んだ貯蔵という大発見!
1707年、グレートブリテン王国が成立。つまりイングランドとスコットランドが合併する、と言えば聞こえが良いが、イングランドがスコットランドを支配する構造が出来上がり、スコットランドの蒸溜所に不公平な重税が課せられるようになります。
以後、様々な増税が行われ1725年には麦芽税が施行。表向きほとんどの蒸溜所が廃業せざるを得なくなりました。そしてどんどん密造がおこなわれるようになります。
さらに、税務官や取締官の目を逃れるように、様々な場所にウイスキーを樽に詰め、隠しました。結果的にウイスキーは何年も熟成することになり、数年後に飲んで美味しくなっているのにびっくり、という状況であったと思われます。
まさに密造し、隠し続けたおかげで、琥珀色の今のウイスキーの原型が出来上がったのです。
ウイスキー新大陸へ「バーボン」の誕生・・・WhiskyとWhiskey
ヨーロッパの人々が新大陸に移住し始めた18世紀。そして、1789年ジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に選ばれた、まさにアメリカ誕生の年に、エライジャ・クレイグ牧師によってバーボンウイスキー( bourbon whiskey)は、最初に作られたとされています。
ウイスキーの発祥地とされるスコットランドやアイルランドから移住してきた人々によって、地元の穀物を使って酒造りが始まったのだろうと容易に想像がつきます。
そしてアメリカの独立戦争で応援してくれたフランスのブルボン朝から「バーボン」という名がつけられたとされています。
ウイスキー戦争
建国した翌年の1790年、アメリカ合衆国政府は財政窮乏を立て直すため「ウイスキー税」を創設・導入します。これに反発した人々が蜂起した暴動のことを「ウイスキー戦争」と言います。ここでも酒造りと税金は大きな問題を引き起こしました。
その税から逃れるために、まだアメリカ合衆国に属してなかった西へ西へと移住を始めます。そして、ケンタッキー州、テネシー州に移り住み、地元で栽培されていたトウモロコシを主な原料としてウイスキーを作り始めます。
バーボンの父と言われるエライジャ・クレイグ牧師もこの地でバーボンを作っており、多数の人々が参加することで一気にバーボンウイスキーが花開きました。
ちなみにバーボンウイスキーを名乗れるのはケンタッキー州で作られたものだけです。(このバーボンウイスキーも含めアメリカ合衆国で作られ規定を満たしたものをアメリカンウイスキーと言います)
Whisky?それともWhiskey?
元祖争いをしているアイリッシュウイスキーのスペルは「Irish Whiskey」そしてスコッチウイスキーは「Scotch Whisky」で、eが入るのがアイリッシュ、入らないのがスコッチです。
バーボンウイスキーは「Bourbon Whiskey」とeが入ります。これはアイルランドからの移民が多かったためとも言われていますが、真偽のほどは定かではありません。
そしてカナディアンウイスキーは「Canadian Whisky」とeが入りません。これまたイギリス・スコットランドからの移民が多かったためとも言われています。
ちなみに日本のウイスキーは、スコッチを手本に歴史が始まっており「Japanese Whisky」とeが入りません。つまりどちらのスペルも正しいのです。
カナディアンウイスキーはアメリカの禁酒法で躍進!
バーボンウイスキーなどアメリカでのウイスキーづくりとほぼ同じ時期にカナダでもウイスキーづくりが始まります。特に独立戦争に敗れたイギリスからの移民はカナダに移り住みウイスキー造りを熱心に始めたと言われています。
しかしほとんどのウイスキーは熟成されたものではなく、当時は「One day WHISKY」と呼ばれ特別なものを除いては高く評価されませんでした。
しかし、1920年1月16日からおよそ13年間、お隣のアメリカ合衆国で禁酒法が施行されます。
もちろんアメリカ合衆国への輸入も禁止でしたが、陸続きの長い国境線を接するお隣の国です。「非公式」ではありますがカナディアンウイスキーがどんどん売れ行きを伸ばしました。実質的にはアメリカの経営者がカナダでウイスキーの製造を始めたりもしました。そして品質も向上してゆきました。
禁酒法が撤廃された後も、カナディアンの人気は落ちませんでした。(バーボン等アメリカでは禁酒法時代は製造できず、熟成期間を考えると撤廃後も10年以上復活できませんでした)
ちなみに、日本では、スコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダ、日本を世界の5大ウイスキーの産地、という呼ばれ方をします。
日本のウイスキー誕生 京都郊外「山崎」の地で初めてのウイスキーが・・・
1923年(大正12年)京都郊外、山崎に日本で初めてのウイスキー蒸溜所の建設が、寿屋(現サントリー)の創業者で初代マスターブレンダーでもあった鳥井信治郎により始まりました。翌1924年日本で初めて滴りおちたウイスキー原酒(ニューポット)樽に詰められ我が国のウイスキーの歴史は幕を開けました。
1929年、最初のウイスキー「白札」(後のホワイト)を発売。「舶来盲信の時代は去れり」と刺激的なコピーで売り出したものの、全く売れなかったようです。
1937年、ウイスキー造りを始めて10余年、ようやく原酒の貯蔵量も増え、発売したジャパニーズウイスキーがヒット。それがいまの「角瓶」でいまだに人気のロングセラーとなっています。
そして戦後、昭和30年代に開高健や山口瞳という社員宣伝マンの繰り出す名広告や広報誌「洋酒天国」の人気なども相まって、ウイスキーをはじめとする洋酒ブームがやってきました。
一方、スコットランドでウイスキーづくりを学び、山崎蒸溜所の初代工場長を務めた竹鶴政孝は、独立し1934年(昭和9年)ニッカウヰスキーの前身である大日本果汁株式会社を設立。北海道余市に工場を完成。
1936年にウイスキーブランデーの製造を始めます。そして1940年「ニッカウヰスキー」第一号を発売。今では世界でも評価の高いサントリーとニッカの二つのウイスキーが、以来、切磋琢磨し、しのぎを削ることになります。
日本のウイスキーブームまで・・・シングルモルト、ハイボール・・・
戦後、東京オリンピックや大阪万国博覧会が実施された、1960年代、70年代、日本人の生活スタイルの欧米化やサラリーマンの仕事のスタイルの変化と相まって、ウイスキーの需要は急激に伸び、1980年代中盤にピークを迎えます。その後は、酎ハイブームなど、安くて飲みやすいお酒などが伸び、2007年まで20年以上ウイスキーの消費は落ち続けました。
そんな中でも、1984年にニッカが「ピュアモルトウイスキー特級」を発売。同年にサントリーが、シングルモルトウイスキー「山崎12年」を発売。トウモロコシなど穀物から作るグレンウイスキーを混ぜた当時主流の「ブレンデッドウイスキー」ではない、大麦から作った世界的にもウイスキー通が好む「モルトウイスキー」を発売しています。
この後も、ニッカが1989年に「シングルモルト余市12年」「シングルモルト仙台宮城峡12年」を、サントリーは1994年にシングルモルトウイスキー「白州12年」を発売。
現在のシングルモルトウイスキーブームを予測していたかのようですね。
2008年にサントリーがスタートした角瓶のハイボールキャンペーンが大ヒット。以来、この年から今に至るまでウイスキーの消費は伸び続けています。一つはこのハイボールによる大衆的なウイスキーの伸びと、世界のウイスキーコンテストでもトップを取り始めたシングルモルトウイスキーの、両輪がいい方向に回転し始めました。
今では日本の各地にウイスキー蒸溜所が出来、世界的評価を受けるものも出てきました。ウイスキーの新時代がやってきたと言えそうです。