三重県ってどんなところ?三重の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

三重県ってどんなところ?三重の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「三重県」です。三重県は日本列島のほぼ中央に位置するため、古くから東西日本の交通や文化の接点という位置付けでした。日本人の心のふるさと「伊勢神宮」や世界遺産に登録された「熊野古道伊勢路」など、多くの人が一度は訪れたいと思うスポットを有し、食文化は伊勢海老や松坂牛など高級食材の宝庫です。自然環境や食材に恵まれた「うまし国」三重の魅力をお楽しみください。

三重県の基本情報

三重県の基本情報

初めに、三重県の基本情報をご紹介いたします。

歴史と産業

三重県では3万年前頃の旧石器時代の遺跡が鈴鹿川や櫛田川、宮川流域の丘陵や台地で確認されています。2000年前に伊勢神宮が創建されました。天照大御神はもともと天皇の側で祀られていましたが、第10代崇神天皇は皇居外のふさわしい場所に祀ることを決意します。そして皇女豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)は大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に天照大御神を移して祀りました。その後、第11代垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)は、永遠に神事を続けられる場所を求めて大和から伊賀、近江、美濃などを巡った結果、五十鈴川の川上に宮を建てることに決めます。雄略天皇22年には豊受大神を丹波から移して外宮としました。

持統天皇4年(690年)からは伊勢神宮の「式年遷宮」が始まりました。式年遷宮とは20年に一度すべての社殿を始め、御装束・神宝などを新しく造り替える祭です。

680年頃に伊勢、伊賀、志摩の3国が分立。伊勢には13郡、伊賀には4郡、志摩には2郡ありました。平安時代には桓武平氏の平維衡が伊勢守となり、その子孫が伊勢国に基盤を作っていきます。南北朝時代は南朝から北畠氏が伊勢国司に任ぜられ、北勢や熊野にも勢力が及びました。しかし戦国時代に大河内城の戦いで織田信長と戦い、次男の織田信雄を婿養子として送り込まれます。その後、8代具教(とものり)が信長に謀殺されて滅びました。また、北勢地域は北勢四十八家と呼ばれる豪族が統治していましたが、織田信長の北勢侵攻によって制圧されます。

江戸時代は多数の藩領が複雑に混じり合いました。もっとも大きな藩は藤堂高虎を始祖とする藤堂氏が藩主の津藩です。他には桑名藩、長島藩、伊勢亀山藩、神戸藩、菰野藩、鳥羽藩、津藩支藩の久居藩がありました。また、津藩の支城の伊賀上野城、紀伊藩の支城の田丸城、松坂城、新宮城、田辺城があります。江戸時代には東海道五十三次のうち、桑名宿・四日市宿・石薬師宿・庄野宿・亀山宿・関宿・坂下宿の7宿が置かれ、宿場町として栄えました。庶民の間に集団で伊勢神宮を参拝するおかげ参りが流行したため、東海道はにぎわいます。

1871年(明治4年)の廃藩置県で「安濃津(あのつ)県」「度会(わたらい)県」の2つの県ができました。安濃津県は一時、県庁を三重郡四日市市に移したため、県名を三重県と改めました。そして1876年(明治9年)に三重県と度会県が合併し、現在の三重県が誕生します。

三重県は温暖な気候で、さまざまな農産物を生産しています。米は、台風被害を回避するために早場米が主流です。水稲作付面積の7割はコシヒカリで、西日本一の生産量を誇ります。

また、三重県は伊勢湾地区やリアス式の志摩半島沿岸、熊野灘地区など特色ある海域を有しているため、それぞれの特徴を活かした漁業が行われています。鳥羽・志摩地区では海女が素潜りで貝や海藻をとる漁法「海女習俗」が受け継がれていて、県の無形民俗文化財に指定されています。

工業は輸送用機械器具製造業や電気機械器具製造業、電子部品・デバイス・電子回路製造業などの産業が盛んです。

面積と人口

三重県の面積は約5,774.47㎢で、全国では25位の広さです。14市・15町の合計29市町で構成され、村はありません。(令和4年5月現在)。県内は四日市市などを含む「北勢」、津市や松阪市などを含む「中南勢」、伊賀市・名張市で構成される「伊賀」、伊勢市・鳥羽市などを含む「伊勢志摩」、熊野市などを含む「東紀州」に分かれています。

人口は1,770,254人(令和2年国勢調査)で、全国では22番目です。県内でもっとも人口が多い市は四日市市(305,424人)で、津市(274,537人)、鈴鹿市(195,670人)と続きます。

【参考】三重県「市町の人口・面積-ランキング

県の位置と県庁所在地

三重県は東経約135〜136°、北緯約33〜35°に位置します。中部と近畿の結節点に位置しているため、県行政は中部・近畿の両圏域に属しているという認識で進められています。

県庁所在地は、日本一短い地名を持つ津市です。津市は青山高原や、しだれ梅で有名な結城神社などの観光スポットがあります。

県名の由来

「古事記」によると、倭建命(やまとたけるのみこと)は長い戦いからの帰途、鈴鹿の能褒野(のぼの)で亡くなったと記されていますが、桑名郡尾津の浜から能褒野へ向かう途中に「わが足三重のまかりなして、いと疲れたり」と語ったことから、三重と呼ばれるようになったということです。

1872年(明治5年)3月に安濃津県の県庁所在地が津から三重郡四日市に移ったことから、「安濃津県」が「三重県」に改称されました。その後、県庁が津に戻り、度会県と合併して今に至ります。

三重県の文化

三重県の文化

三重県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。

松尾芭蕉

「奥の細道」などで知られる松尾芭蕉は、伊賀の国(現在の三重県伊賀市)生まれです。30歳頃に江戸に移り住むまでは、この地で暮らしていました。伊賀市には芭蕉翁記念館があり、貴重な直筆の資料などが多数保存されています。三重県は俳句にゆかりの深い地として「俳句のくにづくり」に取り組み、過去には全国俳句募集(第1回〜第19回)も行われていました。

海女

三重の鳥羽・志摩エリアでは日本最多の海女が活躍していて、素潜りでアワビやサザエなどの貝類や海藻をとります。海沿いには海女小屋があり、現役の海女の話を聞きながら魚介類が食べられる海女小屋体験が人気です。また、ミキモト真珠島では、昔ながらの白い磯着姿で貝をとる海女の潜水実演も行われています。

真珠

三重県では100年以上前から真珠の研究に取り組み、MIKIMOTOの創業者である御木本幸吉氏が英虞湾で真円真珠の養殖を初めて成功させました。三重県は真珠発祥の地として有名で、ミキモト真珠島には真珠の専門博物館が開設されています。

三重県の食文化・食べ物

続いて、三重県の主な食文化をご紹介いたします。

イセエビ

華やかな見た目とプリプリの食感が楽しめるイセエビ。「生で良し、焼いて良し、茹でて良し」といわれ、さまざまな食べ方で味わえます。三重県では、産卵期の5月~9月までを禁猟期間とし、大きくなったイセエビだけを水揚げしています。

松坂牛

松坂牛は全国的に知名度が高く、高級和牛の代名詞です。霜降りのきめが細かく、上質な脂と甘みが特徴の松坂牛は、「黒毛和種で未経産の雌牛」「松坂牛個体識別管理システムに登録されている」「松坂牛生産区域(旧22市町村)での肥育期間が最長・最終である」という3つの条件をクリアしたものと定義されています。さらに、松坂牛の中でも但馬地方など兵庫県産の生後8ヵ月の子牛を松坂牛生産区域で900日以上肥育した牛を「特産松坂牛」と呼んでいます。

伊勢うどん

お伊勢参りの際に食べられる伊勢うどん。極太で柔らかい麺と甘辛で濃厚な出汁が特徴です。麺が柔らかいのは長旅を癒すため、消化がよくなるようにという説が有力なのだそうです。お伊勢参りに行ったときは、ぜひ食べてみてください。

かぶせ茶

三重県のお茶の生産量は静岡、鹿児島に次いで全国3位です。かぶせ茶の国内生産量は第1で、鈴鹿山系の北勢地方で多く生産されています。かぶせ茶とは、摘み取る前の茶葉をワラや寒冷紗で被い、日光を遮って育てる被覆栽培で作られたお茶のことです。玉露や碾茶も被覆栽培ですが、かぶせ茶は被覆期間が短いため、煎茶と玉露の中間にあたります。茶葉の緑色が鮮やかで、渋みや苦味が少ないことが特徴です。

赤福

伊勢名物の「赤福」は1707年(宝永4年)創業で、300年以上の歴史があります。お餅の上にこし餡を乗せた餅菓子で、五十鈴川のせせらぎをかたどっています。餡の三筋の形は清流、白いお餅は小石を表しているそうです。おかげ横丁の赤福本店では、毎月1日限定で月替わりの「朔日餅」が販売され、早朝に完売することもあります。

三重県の伝統行事・祭り

三重県の伝統行事・祭り

三重県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。

上野天神祭のだんじり行事

上野天神祭は上野天神宮の秋祭りで、毎年10月25日の直近の土日に開催されます。1660年(万治3年)に再興された祭りで、ほぼ毎年藩主が高覧していたそうです。「神幸祭」では、2基の神輿の供奉行列として、鬼行列とだんじりの行列が続きます。だんじりは本町筋・二之町筋に面する9つの町からの出し物で、印(しるし)を先頭に豪華絢爛なだんじりが祭囃子を奏でながら進みます。

上野天神祭のだんじり行事は2002年(平成14年)に国重要無形民俗文化財に指定され、2016年(平成28年)にはユネスコ無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」33件の一つとして登録されました。

【参考】上野天神祭公式サイト

津まつり

津市で毎年秋に開催される「津まつり」は、1635年(寛永12年)に二代藩主藤堂高次公が八幡宮の氏神祭としたのが始まりです。伝統芸能の「唐人踊り」「しゃご馬」「八幡獅子舞」「入江和歌囃子」「高虎太鼓」、和船山車「安濃津丸」などの他、1998年(平成10年)からは「安濃津よさこい」も加わりました。郷土芸能とよさこいが融合した祭りで、多くの人でにぎわいます。

熊野大花火大会

熊野大花火大会は、300余年の伝統がある花火大会です。お盆の初精霊供養に打ち上げた花火の火の粉で灯籠焼きを行ったのが始まりだといわれています。花火の規模が大きくなっても初精霊供養の要素は消えることなく、灯籠焼きや追善供養の打ち上げ花火がプログラムに組み込まれています。「三尺玉海上自爆」「海上自爆」「鬼ヶ城大仕掛け」など、熊野灘と鬼ヶ城を舞台に迫力ある花火が打ち上げられます。

三重県の建築物・遺産

三重県の主な建築物や遺産は次のとおりです。

伊勢神宮

伊勢神宮は「皇大神宮」(こうたいじんぐう)「内宮」(ないくう)と、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)「外宮」(げくう)を中心とした125社のお宮とお社の総称です。江戸時代には「おかげ参り」と呼ばれる庶民の参拝が広まり、東海道の桑名、四日市などの宿場町が栄えました。参拝は、外宮を参拝してから内宮を参拝するのが古くからの習わしです。お参りの後は、内宮の門前町「おはらい町」やひときわにぎやかな「おかげ横丁」で食べ歩きやお土産選びが楽しめます。

住所:【皇大神宮(内宮)】三重県伊勢市宇治館町1/【豊受大神宮(外宮)】三重県伊勢市豊川町279
公式サイト:伊勢神宮

熊野古道伊勢路

熊野古道伊勢路は、伊勢神宮から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社の総称)を詣でる人が通る祈りの道です。古くから「伊勢に七度、熊野に三度」という言葉があり、信仰心の厚いことへのたとえに使われています。

熊野古道伊勢路は峠から熊野灘を一望できるコース、棚田を望むコースなど、多彩な風景を楽しめる全17 のコースがあります。熊野古道は世界でも珍しい道の世界遺産で、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。

公式サイト:世界遺産 熊野古道伊勢路

本居宣長記念館・鈴屋(すずのや)

本居宣長記念館は、医者で日本古典研究家だった本居宣長の旧宅「鈴屋」が移築されています。展示室では「古事記伝」などの自筆稿本類や遺品、自画像などが公開されていて、「鈴屋」は外部から見学できます。

住所:三重県松阪市殿町1536-7
公式サイト:本居宣長記念館

県民の日とその由来

三重県の県民の日は4月18 日です。1871年(明治4年)の廃藩置県で安濃津県(のちに三重県と改称)と度会県が置かれ、1876年(明治9年)に2つの県が合併して三重県が誕生しました。1976年(昭和51年)の県政100周年を記念して、4月18日が「県民の日」と定められました。

まとめ

今回は、三重県の概要や各種の文化と伝統行事、建築物などについてご紹介いたしました。伊勢神宮は日本最高位の神社なため、一生に一度は行きたい場所として人気です。三重県には観光スポットが多く、グルメも魅力なので、ゆっくりとお出かけしてはいかがでしょうか。

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