2021年12月8日 | お役立ち情報
熊本県ってどんなところ?熊本の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「熊本県」です。過去には有力者による勢力争いが繰り広げられた熊本県。農業を中心にしてさまざまな産業が発展し、独自の歴史や文化を築き上げてきました。雄大な自然に抱かれ、「火の国・水の国」としてますます進化する熊本県の魅力をお楽しみください。
熊本県の基本情報
はじめに、熊本県の基本情報をご紹介いたします。
歴史と産業
熊本県はおよそ1万5千年前から人々が生活していたと考えられ、縄文時代の遺跡や壁画に彫刻などを施した装飾古墳が多数発見されています。6~7世紀ごろには火(ひ)、阿蘇(あそ)、天草(あまくさ)などの小国が生まれ、後に肥後国(ひごのくに)に統一されました。
平安時代には数十もの荘園が誕生。鎌倉時代には阿蘇氏(うじ)などの有力な豪族のほか、遠江(とおとうみ:現在の静岡)から来た相良(さがら)と呼ばれる一族が支配しました。室町時代の肥後は複数の大名による争奪戦が続き、豊臣秀吉が九州を治めるまで島津氏が統治しました。
後に県北などを加藤清正(きよまさ)、県南を小西行長(ゆきなが)、球磨(くま)地域を相良氏が支配し、天草(あまくさ)地域は数々の変遷を経て明治維新まで幕府が直轄。関ヶ原の戦いで小西行長が失脚すると、加藤清正が県北と県南を治めて熊本城を築城しました。
寛永9年に小倉(こくら:現在の福岡県)から細川忠利(ただとし)が入国した後、県北と県南は熊本藩として細川氏が支配。明治4年の廃藩置県により熊本藩が熊本県になり、ほかの地域は合併や吸収などを経て、同9年に肥後国の全体が熊本県として確定します。明治10年の西南戦争では、県内の各地が戦火に遭いました。
もともと農業が盛んな熊本県。明治23年ごろからは八代(やつしろ)にセメントをはじめとする工場が立ち並び、明治の半ばには荒尾(あらお)市に炭坑が整備され国内の近代化に貢献。のちの太平洋戦争では、熊本市が国防の要地として機能しました。
戦後は急ピッチで復興が進められ、商業や観光業にも力を入れます。昭和46年に熊本空港が開港、平成23年に九州新幹線の全線が開業。近年の熊本県は国の機関や製造業などの企業が進出し、九州地方の中心的な役割も担います。
面積と人口
熊本県の面積は約7,409.48 1㎢で、九州地方で3位、全国では15位の広さです。14市・23町・8村から成り(令和3年10月現在)、地域は「阿蘇市」「玉名(たまな)市」などを含む県北、「熊本市」「宇城(うき)市」などを含む県央、「人吉(ひとよし)市」「水俣市」などを含む県南、「天草市」などを含む天草に分かれます。
人口は1,726,187人(令和3年9月1日現在)で、全国では23番目です。県内でもっとも人口が多い市は熊本市(738,089人)で、八代市(121,171人)、天草市(73,899人)と続きます(令和3年9月1日現在)。
【参考】
熊本県「令和3年(2021年)熊本県の人口と世帯数」
県の位置と県庁所在地
熊本県は九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置します。県面積の約6割を森林が占め、北東部にある阿蘇山は世界で最大級のカルデラ(火山の中央部にあるくぼみ)を有します。
県庁所在地は熊本市で、政令指定都市のひとつです。市内には、熊本城や「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」などの観光スポットがあります。
県名の由来
熊本の語源についてはさまざまで、古代語で沼地や沢地を表す「ク」と崖(がけ)を表す「マ」から「崖の下の湿地」を指す説、川が曲がりくねる様子を意味する「クマ」を指す説、崖の下を表す「クマ」と湿地を表す「ムタ」が転じた説などがあります。
かつて熊本は「隈本」と表記されましたが、「隈」の字は「恐れる」「かしこまる」などの意味をもつ「畏」が含まれるため、加藤清正が「熊」の字を当てたとされます。
熊本県の文化
熊本県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。
火の国の伝説
熊本県は古くから「火の国」と呼ばれ、後に「肥の国」に変化したとされます。かつて氷川(ひかわ)流域で勢力をふるった「火の君」と呼ばれる一族の活躍のほか、「肥前国風土記」に記された「不知火(しらぬい)」、阿蘇山の噴火など、火の国にまつわる数々の伝説が残ります。
五木の子守唄(うた)
人吉・球磨地方の子守唄で、昭和7年の「球磨民謡集」に五木四浦(いつきようら)地方の唄として紹介された旋律が広く知られます。山の貧しい家の子どもたちが人吉などに子守りの奉公に出た際、つらい気持ちを歌ったものが受け継がれ、70種類ほどの歌詞があります。現在の五木村では、同じ民謡集に記載された別の旋律が歌い継がれています。
肥後古流(ひごこりゅう)
熊本県に伝わる茶道の流派で、古市(ふるいち)・萱野(かやの)・小堀の三家で確立しました。安土桃山時代の茶人・千利休(せんのりきゅう)の孫婿である古市宗庵(そうあん)が、寛永2年に細川忠利のもとで茶事を司る茶頭(さどう)に就任。細川家が熊本に入国した後、宗庵は三弟子に武家の茶道を伝承しました。現在は小堀家と武田家が作法を継いでいます。
肥後象嵌(象眼:ぞうがん)
400年以上の歴史を誇る金属を加工した工芸品で、国の伝統的工芸品に指定されています。現在は、地金となる鉄の表面に入れた切れ目に金銀の金属を打ち込む「布目象嵌」が主流で、ブローチやペンダントなどの作品があります。かつて細川忠利のもとで働いた鉄砲の鍛冶(かじ)職人が、銃や刀の鐔(つば)などに模様を施したことが起源とされます。
い草(いぐさ)の栽培
畳(たたみ)の原料となるい草の栽培は、国内では八代市が最初で、現在も全体の9割を県内で生産しています。八代にあった上土(うえつち)城の城代(じょうだい)、岩崎主馬守忠久(いわさきしゅめのかみただひさ)が村人の生活のために栽培を奨励しました。熊本県のい草は「くまもと県産いぐさ」などとして、地理的表示保護制度(GI)に登録されています。
熊本県の食文化・食べ物
続いて、熊本県の主な食文化をご紹介いたします。
野菜と果物
熊本県は農業が盛んで、農業産出額は全国第 5 位です。国内でトップクラスの生産量を誇る品目も多く、トマトとスイカは全国1位、メロンが3位、いちごが4位です。ナスやアスパラガス、ゴボウ、キャベツなどの野菜も上位に入ります。また、柑橘(かんきつ)類のザボンの仲間である「晩白柚(ばんぺいゆ)」は、八代市の特産として知られます。
車エビ・真ダコ
国内の車エビの養殖は、明治38年に上天草市の維和(いわ)島ではじまりました。熊本県の車エビはかつて日本一の生産量を誇り、肉厚で甘みがあることで知られます。タコ漁が盛んな天草市は、水揚げした真ダコを成型してつるす「干しダコ」の景観が有名です。天草では、ポルトガルのリゾットが起源とされるタコ飯が郷土料理として親しまれています。
馬肉・馬刺し(ばさし)
馬肉の生産量が日本一の熊本県は、「馬刺し」も有名です。馬肉は高たんぱくでカルシウムや鉄分などのミネラルとビタミン類を豊富に含み、低カロリー・低脂肪である点が特徴です。かつて朝鮮に出兵した加藤清正が食糧不足に苦しみ、やむを得ず軍馬を食したことがきっかけで、軍馬の産地である阿蘇から全国に広まりました。
からし蓮根(れんこん)
熊本県宇城地方は、蓮根の産地として知られます。蓮根の穴に麦みそと和がらしを混ぜたものを詰め、小麦粉と卵などの衣をつけて揚げた「からし蓮根」は、普段の食事だけでなくおせちにも出されます。病弱だった細川忠利に栄養を摂取させるため、熊本城の堀に栽培していた蓮根を禅僧が食べやすく調理して献上したことが起源とされます。
だご汁
「だご」とは、米の代用品である小麦粉を練って作った「だんご」を指します。だんごと根菜類を煮込んでしょう油やみそで味つけした「だご汁」は、熊本県の郷土料理のひとつです。伸ばした生地をちぎる「つっきりだご」が一般的ですが、平たい麺(めん)のような阿蘇の「のべだご」、サツマイモを小麦粉で包んだ熊本市の「いきなりだご汁」などもあります。
熊本県の伝統行事・祭り
熊本県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。
火の国まつり
8月に熊本市で開催される祭りで、昭和53年にはじまりました。熊本県の民謡である「おてもやん」や、軽快にアレンジされた「サンバおてもやん」に合わせて、およそ5000人の参加者が大通りを踊り歩きます。期間中はさまざまなイベントや花火大会が開催され、熊本県の夏を代表する祭りとして盛り上がりを見せます。
八代妙見祭(やっしろみょうけんさい)
11月に八代市の八代神社で開催される九州三大祭りのひとつで、国の重要無形民俗文化財とユネスコ無形文化遺産に登録されています。1日目の「お下(くだ)り」は、神様を乗せた神輿(みこし)が神社から出発して練り歩き、塩屋八幡宮に向かいます。
2日目の「お上(のぼ)り」は、長い行列を作った神輿と多くの出し物が、八幡宮から「妙見宮(みょうけんぐう)」があった中宮跡に向かい、獅子舞の行事を終えて八代神社に戻ります。永正12年に祭礼がはじまり、寛永9年に細川忠興が八代に来るとますます盛大なものとなりました。
藤崎八旛宮例大祭(ふじさきはちまんぐうれいたいさい)
熊本市の藤崎八幡宮で、9月の5日間にわたって開催される秋の大祭です。「随兵(ずいびょう)祭り」とも呼ばれ、「ドーカイ、ドーカイ」のかけ声とともに神輿につき添う兵や飾り馬(かざりうま)などが練り歩きます。八幡宮の創建当初から1000年以上も受け継がれる、県内最大級の祭りです。
肥後三大夏祭り
そのほか、熊本県では「肥後三大夏祭り」として次の祭りが開催されます。
熊本市:川尻(かわしり)精霊流し
8月に加勢川の流域でおこなわれる行事で、江戸時代から400年以上の歴史があります。雅楽や読経(どきょう)の流れる中、初盆を迎えた家族が灯籠(とうろう)や精霊舟を川に流して故人を送り出します。河原では、花火大会も開催されます。
山鹿(やまが)市:山鹿灯籠祭り
8月に開催される山鹿市の大宮神社の祭りです。和紙の金灯籠(かなとうろう)を頭に乗せた女性が、「よへほ節」とともに踊る「千人灯籠踊り」が見どころです。かつて景行(けいこう)天皇が巡幸した際、里人が松明(たいまつ)を掲げて迎えたことが起源とされます。
宇土(うと)市:うと地蔵まつり
子どもたちがお地蔵様を飾りつけ、鉦(かね)の音とともに独特の文言を歌う8月の祭りで、展示物の「造りもん」や花火大会も楽しめます。宇土藩主の細川行孝(ゆきたか)が子どもを疫病などから守るため、市内の寺に地蔵尊を寄付したことがはじまりとされます。
熊本県の建築物・遺産
熊本県の主な建築物や遺産は次のとおりです。
万田坑と三角西港
荒尾市の「万田坑(まんだこう)」と宇城市の「三角西港(みすみにしこう)」は、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産で登録されています。明治時代に整備された三池炭鉱の万田坑は、地表から垂直に掘られた国内では最大規模の「竪坑(たてこう)」で、トロッコのレールやホームなどが現存します。
三角西港は明治20年にオランダの工師の設計で築港され、当時の様子が多く残る港として国の重要文化財にも指定されています。現在も756mの石積みの埠頭(ふとう)や水路、建造物などが保存され、特別輸出港として栄えた面影を残しています。
- 万田坑
住所:荒尾市原万田200-2
公式サイト:https://www.city.arao.lg.jp/q/list/385.html
- 三角西港
住所:宇城市三角町三角浦
公式サイト:https://www.city.uki.kumamoto.jp/kankou/q/list/112.html
天草の﨑津(さきつ)集落
天草市の﨑津集落は、世界遺産の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として登録されています。江戸幕府による禁教令のもと、漁村である﨑津集落では貝殻の内側に出る模様を聖母マリアに見立てるなどして、多くの潜伏キリシタンが信仰を続けました。現在の﨑津教会は、宗教の弾圧がおこなわれた庄屋の跡地に建てられています。
住所:天草市河浦町﨑津539(﨑津教会)
公式サイト:https://www.city.amakusa.kumamoto.jp/sakitsu-sekai/default.html
人吉・球磨
人吉・球磨地域は、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」と題したストーリーと57件の文化財で構成された日本遺産の第1号として登録されています。鎌倉幕府の命令から明治維新までのおよそ700年、相良の一族が人吉・球磨地域を統治し、新しい文化を取り入れながらこの地の伝統や風習を守りました。
公式サイト:https://hitoyoshikuma-guide.com/
熊本城
日本三名城のひとつで、別名の「銀杏(ぎんなん)城」は天守閣の前にある大きなイチョウの木が由来とされます。慶長6年に加藤清正が着工し、同12年に完成しました。およそ98万㎡の広さと、3つの天守閣や複数の折れ重なる石垣などが特長で、一部は国の重要文化財に指定されています。平成28年の熊本地震で被災し、現在も復旧作業が進められています。
住所:熊本市中央区本丸1-1
公式サイト:https://castle.kumamoto-guide.jp/
熊本水遺産
「水の国」でも知られる熊本県は、「熊本水遺産」として水にまつわる地域や風習などを独自に募集・登録しています。県内の1000ヵ所を超える湧水(ゆうすい)のポイントの中には、「平成の名水百選」や昭和の「名水百選」に選ばれた場所もあります。熊本県内の水道水源の約8割は地下水、熊本市の水道水はすべて地下水でまかなわれています。
公式サイト:https://www.city.kumamoto.jp/kankyo/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=20554
まとめ
今回は、熊本県の概要や各種の文化と伝統行事、遺産などについてご紹介いたしました。熊本県のシンボルである阿蘇山は、世界最大級の火山として富士山よりも早く海外の文献に記載されています。
火の国の伝説と雄大な自然がもたらす水資源、人々が守り抜いた歴史や文化が満載の熊本県。愛らしいご当地キャラクターが待つ熊本県に、ぜひ足をお運びください。