広島県ってどんなところ?広島の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

広島県ってどんなところ?広島の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!
写真提供:広島県

47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「広島県」です。古くから中国地方の中心的な役割を担い、重工業やかきの養殖、柑橘(かんきつ)類の栽培を中心に発展した広島県。原爆の投下という凄惨(せいさん)な歴史を乗り越え、自然や文化とともに最先端の技術産業を次世代へつなぐ広島県の魅力をお伝えします。

広島県の基本情報

はじめに、広島県の基本情報をご紹介いたします。

歴史と産業

広島県内各地で、縄文・弥生時代の遺跡や複数の古墳が発見されています。かつて県の西側は安芸国(あきのくに)、東側は備後国(びんごのくに)と呼ばれ、8世紀には多くの荘園(しょうえん)が置かれました。後に平清盛(たいらのきよもり)が安芸国の国守(こくしゅ)となり、宮島の嚴島(いつくしま)神社の社殿を修築します。

承久の乱の後、安芸国の守護となった武田氏(たけだうじ)は、毛利氏(もうりうじ)などとともに勢力を振るいました。天正17年に毛利輝元(てるもと)が広島城を築くと、城下の川には他国の船が往来して商業が栄えます。限られた耕地では、イグサの栽培や織物、木工などの産業が営まれました。

明治4年の廃藩置県で広島県や福山県などが誕生し、合併・分離を経て現在の広島県域が確定。明治27年には山陽鉄道が開通、同年の日清戦争では広島城に大本営が置かれました。大正時代に入ると工業港や臨海工業地帯の建設が盛んになり、昭和16年には呉市で世界最大の戦艦「大和」が建造されます。

昭和20年、広島市に原子爆弾が投下され、壊滅的な被害を受けました。戦後は「広島平和記念都市建設法」や「広島生産県構想」により、復興に向けた本格的な取り組みがスタート。昭和30年ごろからは呉市などの企業誘致により、鉄鋼や造船、自動車などの重工業を中心に発展します。

平成8年には、原爆ドームと嚴島(いつくしま)神社が世界文化遺産に認定されました。現在の広島県は「ものづくり」を軸とした産業が盛んで、中国地方のビジネス拠点としての役割も担います。重工業や電子部品などの出荷額は、中国・四国・九州地方で第1位。核兵器の廃絶と恒久平和を訴える活動も、次の世代へつなぐ重要な取り組みのひとつです。

面積と人口

広島県の面積は約8,479㎢で、中国地方では1位、全国では11位の広さです。14市と9から成り(令和3年7月現在)、地域は「広島」「広島中央」「広島西」「呉」「尾三(おさん)」「福山・府中」「芸北(げいほく)」「備北(びほく)」に分かれます(現在は、西部・東部・北部と3つに分ける場合も)。県内には142の離島があり、うち35島が有人です。

人口は2,801,388人にのぼり、全国では12番目です。県内でもっとも人口が多い市は広島市(1,201,281人)で、福山市、呉市と続きます(令和2年10月1日現在)。

【参考】広島県「令和2年国勢調査 人口速報集計結果」

県の位置と県庁所在地

広島県は東経約132~133°、北緯約34~35°に位置します。北西は中国山地、南は瀬戸内海に面し、面積の約75%が山地で低地は5%しかありません。県庁所在地は広島市で、市内には20種類を超える多彩な路面電車が走ります。

県名の由来

広島市内を流れる太田川の三角州(デルタ)には、かつて複数の島々が点在していました。毛利輝元がこの中でもっとも広い島を選び、築城した際に「広島」と命名したとされます。また、毛利氏の祖先に当たる「大江広元(おおえのひろもと)」の「広」と、この地域の武士である「福島元長(もとなが)」の「島」を取って名づけたという説もあります。

広島県の文化

広島県の文化
写真提供:広島県

広島県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。

筆の生産

安芸郡熊野町で生産される書筆や画筆、化粧筆などは、ブランド筆として知られます。江戸時代の熊野の農民が閑散期に筆や墨を仕入れて販売、後に筆職人と結婚した熊野の女性を中心として、これらの生産がはじまりました。呉市川尻(かわじり)町でも江戸時代から筆が作られ、どちらも国の伝統的工芸品に指定されています。

福山琴(ふくやまこと)

最高級の桐(きり)を用いて琴職人が仕上げる琴で、華麗な装飾と優れた音色が特徴です。国の伝統的工芸品に指定されている唯一の楽器で、国内シェアのおよそ7を占めます。歌謡が盛んだった福山藩では江戸時代の初期から琴を生産しており、京都で箏(そう)曲を習得した葛原勾当(くずはらこうとう)が広めたとされています。

広島仏壇(ひろしまぶつだん)

国の伝統的工芸品に指定されている広島仏壇は、材料を盛り上げる「高蒔絵(たかまきえ)」や塗りの技法、金箔(きんぱく)の技法などに優れています。江戸時代に紀州から来た細工師の技術と、市内の寺院に祈祷(きとう)堂を建立するために僧が学んだ京都と大阪の仏壇・仏具の製造技術が組み合わされて確立、発展しました。

宮島杓子(みやじましゃくし)

杓子とは飯や汁をすくい取る道具で、廿日市(はつかいち)市の宮島のお土産として人気があります。江戸時代の中ごろ、琵琶(びわ)を持つ弁財天(べんざいてん)の夢を見た僧が、琵琶の形に似せた杓子を神木から作って福を招くよう、島民に伝えたことがはじまりとされます。まちづくり交流センターでは、長さ7mを超える大杓子を展示しています。

尾道の帆布(はんぷ)

帆布とは綿または麻で織った厚地の布で、キャンバスとも呼ばれます。かつて海上交通の要として栄えた尾道は、船の帆(ほ)に使用する帆布を盛んに生産していました。戦後に合成繊維が登場すると工場数は減少しますが、尾道の上質な綿の帆布が改めて注目を浴び、現在はバッグや小物などの商品が数多く販売されています。

広島県の食文化・食べ物

広島県の食文化・食べ物
写真提供:広島県

続いて、広島県の主な食文化をご紹介いたします。

広島風お好み焼き

戦後の広島では、アメリカから配給された少量の小麦粉を水で溶き、野菜を加えて焼いた「一銭洋食」が普及しました。昭和30年代には住宅の一部を店舗にしてお好み焼きを売る店が増え、豚肉や麺(めん)を加えたスタイルが定着。昭和50年に広島東洋カープが優勝した際、広島風お好み焼きがテレビで放映され全国に広まりました。

広島かき

広島県のかきの生産量は全国1位を誇り、その量も全体の半分以上を占めます。広島かきは1~2月に旬を迎え、殻は小さいものの身は大粒で肉厚、うまみが多いことで知られます。広島湾は波が穏やかで程よい塩分を含み、プランクトンの量や水温の変化も適しているため、室町時代から400年以上もかきの養殖が続いています。

広島レモン

温暖で台風の影響が少ない広島県は、レモンの生産量も国内第1位。呉市や尾道市などの島を中心に栽培され、一般的なレモンやハウスレモン、グリーンレモンのほか、菓子や飲み物などの加工品も流通します。明治31年に、和歌山県から購入したネーブルの苗に混入していたレモンの苗を、試しに植えたことから栽培がはじまりました。

もみじ饅頭(まんじゅう)

県花であるもみじをかたどった饅頭で、宮島のお土産として人気があります。カステラの中はあんこが主流ですが、現在はクリームやチョコ、チーズなど種類も増え、各店が個性あふれる商品を展開。明治39年、紅葉谷公園内の旅館が、菓子を納入していた職人にもみじ型の菓子の製作を依頼したことがはじまりとされます。

尾道ラーメン

尾道市や福山市などに普及するラーメンで、鶏ガラと瀬戸内の小魚を出汁にした醤油味のスープと背脂のミンチが特徴。元祖の人気店では、鶏ガラと豚骨を出汁に使います。昭和初期に中国人が支那(しな)そば(中華そば)を売ったことがきっかけで、戦後に元祖の店がオープン。昭和30~40年代に現在のスタイルになったとされています。

広島県の伝統行事・祭り

広島県の伝統行事・祭り
写真提供:広島県

広島県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。

とうかさん大祭

広島県の三大祭りの1つで、広島市の圓隆寺(えんりゅうじ)の鎮守である「稲荷(とうか)大明神」の御神体を、6月第1金曜日から3日間だけ開帳します。「ゆかたの着始め祭り」とも呼ばれ、期間中は浴衣を着た女性が多く訪れます。祭りの名称は、稲荷を音読みで「とうか」と読んだことに由来し、寺が建立された翌年の元和6年にはじまったとされます。

えびす講(こう)

広島県の三大祭りのひとつで、11月に広島市の胡子(えびす)神社で開かれる「胡子大祭」を指します。400年以上の歴史があり、「えべっさん」の愛称で親しまれています。商売繫盛を願う人々が、商店街の「誓文払い(せいもんばらい)」の大売出しで「こまざらえ」と呼ばれる熊手を購入し、胡子神社でお祓(はら)いを受けます。

住吉祭

広島県の三大祭りのひとつで「すみよしさん」とも呼ばれ、7月に広島市の住吉神社で催されます。日々の生活で積もった心の垢(あか)を神の力で清める「夏越大祓神事(なごしおおはらいしんじ)」として、「茅の輪(ちのわ)くぐり」や「人形(ひとがた)流し」などをおこないます。大火の後、寛永11年に現在の地へ移った日を夏の例大祭としました。

管絃祭(かんげんさい)

日本三大船神事のひとつで、旧暦6月(現在の7月)の大潮の日に嚴島神社で開催されます。嚴島神社の神様を乗せた御座船(ござぶね)が対岸の地御前(じごぜん)神社まで渡る一連の儀式で、夕刻から深夜にかけて雅楽の管楽器や絃楽器などを演奏しながらおこなわれます。平安時代に盛んだった管絃祭の行事を、平清盛が取り入れたとされています。

壬生の花田植(みぶのはなだうえ)

6月に北広島町壬生で開催される行事で、国の重要無形民俗文化財、ユネスコの無形文化遺産に指定されています。総指揮の三拝(さんばい)が編木(ささら)を打ち鳴らして田植え唄を歌い、太鼓などのお囃子(はやし)とともに早乙女(さおとめ)が田植えをします。中国地方に古くから伝わる歌と田植えの行事が、昭和初期に花田植として復活しました。

広島県の建築物・遺産

広島県の建築物・遺産
写真提供:広島県

広島県の主な建築物や遺産は次のとおりです。

原爆ドーム

チェコの建築家の設計で、大正4年に広島県物産陳列館として完成した建物です。原爆投下により損壊し、頂上の鉄骨の形状から戦後に原爆ドームと呼ばれました。被爆した当時の状況を残しつつ、複数回の保存工事を経て現在に至ります。戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えるシンボルとして、平成8年に世界遺産に登録されました。

住所:広島市中区大手町1-10
公式サイト:https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/list843-4808.html

嚴島神社

日本三景のひとつ「安芸の宮島」として知られ、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。推古天皇元年、宮島を治めていた佐伯鞍職(さえきのくらもと)が創建したとされます。宮島全体が神の島と崇められたため、陸地ではなく潮が満ち引きする場所に建立しました。現在の社殿は平清盛が建てたもので、国宝や重要文化財の建造物が数多く残ります。

住所:廿日市市宮島町1-1
公式サイト:http://www.itsukushimajinja.jp/index.html

広島城

天正17年に毛利輝元が築いた城で、尾張の武将で後に安芸・備後の大名となった福島正則、和歌山藩主だった浅野長晟のほか、浅野氏の12代が入城して栄えました。現在は本丸と二の丸、石垣と内堀のみが残り、国宝に指定されている天守閣は昭和33年に復元された後、歴史博物館として開放されています。

住所:広島市中区基町21-1
公式サイト:http://www.rijo-castle.jp/

瀬戸内しまなみ海道

正式名称は「西瀬戸自動車道」で、尾道市から愛媛県今治市までの約60kmを結びます。向島(むかいしま)や因島(いんのしま)などの島々と、新尾道大橋や因島大橋などの7つの橋を通って四国まで渡ることができます。日本初の海峡を横断する自転車道として知られ、「世界でもっともすばらしい7大サイクリングコース」に選ばれています。

公式サイト:https://www.jb-honshi.co.jp/shimanami/

呉市の観光スポット

呉市は戦前から工業都市として栄え、戦時中に置かれた海軍工廠(こうしょう)が戦艦「大和」を建造しました。呉の歴史や大和の模型などを展示する「大和ミュージアム」、実物の潜水艦を陸上で展示する「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」、海上自衛隊の潜水艦と護衛艦を見学できる公園「アレイからすこじま」などがあります。

大和ミュージアム

住所:呉市宝町5-20
公式サイト:https://yamato-museum.com/

海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)

住所:呉市宝町5-32
公式サイト:https://www.jmsdf-kure-museum.go.jp/

アレイからすこじま

住所:呉市昭和町8
公式サイト:https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/67/m000008.html

広島県の県民の日

広島県の県民の日
写真提供:広島県

広島県は県民の日を制定していませんが、広島市は毎年8月6日に平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)を挙行します。式典は、平和記念公園に原爆死没者慰霊碑が建立された昭和27年から続いています。

原爆が投下された午前8時15分に平和の鐘(かね)とサイレンを鳴らして1分間の黙とうをおこない、原爆死没者に哀悼の意を表して世界の恒久的な平和を祈念します。

まとめ

まとめ
写真提供:広島県

今回は、広島県の概要や各種の文化と伝統行事、建築物などについてご紹介いたしました。

地場産業を大切に引継ぎ、戦後は重工業を中心に復興した広島県。世界的にも知名度の高い「HIROSHIMA」には、海外からも多くの観光客が訪れます。広島県が発信する平和への願いは今後も国内外で語り継がれ、大切なバトンとして受け渡されていきます。

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