2021年8月11日 | お役立ち情報
佐賀県ってどんなところ?佐賀の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!
【写真提供】佐賀県観光連盟
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「佐賀県」です。古くから海外との交流が盛んで、戦国時代には国の重要な拠点としての役割を果たしました。農業や漁業、陶磁器の分野を軸に、現在も数々の歴史を大切にしながらまい進する佐賀県の魅力をお楽しみください。
佐賀県の基本情報
はじめに、佐賀県の基本情報をご紹介いたします。
歴史と産業
旧石器時代から人々が暮らし、弥生時代には大陸から稲作などの農耕文化が伝わった佐賀県。7世紀には国が支配する律令(りつりょう)制の下、現在の佐賀市大和(やまと)町に「国府(こくふ)」と呼ばれる役所が置かれ、佐賀県全域と長崎県の一部を含む「肥前国(ひぜんのくに)」が誕生しました。
平安時代には、海外貿易の主軸となった「神崎荘(かんざきのしょう)」など複数の「荘園(しょうえん)」が存在しました。鎌倉時代の蒙古(もうこ)軍による2度の「元寇(げんこう)」では、多くの肥前武士が活躍。戦国時代には、豊臣秀吉が朝鮮出兵に先立って現在の唐津市に名護屋(なごや)城を築城したことから、国の重要な拠点として栄えました。
江戸時代に入ると、肥前には鍋島直茂(なべしまなおしげ)による佐賀藩と、寺沢広高(てらざわひろたか)による唐津藩が誕生します。後に佐賀藩は長崎の警備を任されるなど、国内でも有数の強力な藩に成長しました。
10代藩主の鍋島直正(なおまさ)は、国内初の反射炉で鉄製の大砲を製造したほか、天然痘(てんねんとう)の予防接種をいち早く取り入れて西洋医学の基礎を築くなど、数々の偉業を達成。明治維新における佐賀藩は、薩摩藩や長州藩、土佐藩とともに新しい国家の設立に参画し、大隈重信(おおくましげのぶ)などの偉人を輩出しました。
明治4年の廃藩置県により佐賀県が誕生、同年に筑後の三潴(みづま)県との合併・廃止を経て長崎県と合併しますが、明治16年に長崎県から独立して現在に至ります。終戦後は食糧不足の対策として農業の開拓事業に力を入れたこともあり、現在も農業や漁業などの第一次産業が占める割合は他県に比べて高めです。
近年では自動車関連工場の進出も盛んで、観光業やサッカーをはじめとするスポーツの推進事業にも取り組みます。
面積と人口
佐賀県の面積は約2,439㎢で、九州地方ではもっとも小さく、全国では42番目の広さです。10市10町から成り(令和3年6月現在)、「唐津(からつ)」「伊万里(いまり)」「杵藤(きとう)」「佐賀」「東部」の5地域に分かれます。県内の7つの島は、すべて唐津市に属します。
人口は804,931人(令和3年5月1日現在)で、全国では41番目です。県内でもっとも人口が多い市は佐賀市(231,896人)、次いで唐津市(120,513人)、鳥栖(とす)市(73,691人)です(令和2年4月現在)。
【参考】
公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」
県の位置と県庁所在地
佐賀県は北緯約129~130°、東経約32~33°に位置し、北は玄界灘(げんかいなだ)、南は有明海(ありあけかい)に面しています。直線距離は東京まで約900㎞、大阪まで約500㎞ですが、朝鮮半島までは約200㎞の近さです。
県庁所在地は佐賀市で、「佐賀城跡」や世界文化遺産に指定された「三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)跡」などの観光スポットがあります。
県名の由来
「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」によると、「古事記」などに登場する景行(けいこう)天皇の子である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が肥前の諸富(もろどみ)周辺を巡行(じゅんこう)した際、一株の立派な樟(くすのき)が茂る地域を「栄の国(さかのくに)」と呼ぶよう提案しました。
このできごとにちなんで一帯を「栄の郡(さかのこおり)」と命名し、後に「佐嘉郡(さかのこおり)」の字を当てたとされています。明治維新で新しい政権が誕生した際、「嘉」の字を「賀」に改めました。
佐賀県の文化
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佐賀県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。
佐賀の七賢人(しちけんじん)
江戸から明治時代にかけて活躍した次の7人は「佐賀の七賢人」と呼ばれ、現在も語り継がれています。
- 鍋島直正・・・佐賀藩の10代目藩主で多くの功績を残す
- 大木喬任(おおきたかとう)・・・日本で最初に文部科学大臣に就任
- 島義勇(しまよしたけ)・・・北海道の札幌の街づくりに貢献
- 江藤新平(えとうしんぺい)・・・日本で最初の法務大臣に就任
- 佐野常民(さのつねたみ)・・・日本赤十字社を設立
- 大隈重信・・・2度の総理大臣、早稲田大学を創立
- 副島種臣(そえじまたねおみ)・・・外務大臣として活躍
伊万里・有田焼(ありたやき)など
国内で最初の磁器である「有田焼」は、約400年前から作られています。伊万里川の河口から輸出したことから「伊万里焼」とも呼ばれ、世界中に影響を与えました。中でも江戸時代の作品は、「古伊万里(こいまり)」として高く評価されます。また、土の風合いを活かした唐津市の「唐津焼(からつやき)」も、佐賀県の名産品として知られます。
備前びーどろ
江戸時代から受け継がれる「宙吹き(ちゅうぶき)」で作られたガラス作品で、佐賀県の重要無形文化財に指定されています。型を使用せずに中空でふくらませるため、なめらかな形状に仕上がる点が特徴です。佐賀藩の研究施設「精煉方(せいれんかた)」で製造した、化学実験用のビーカーなどを基にして誕生しました。
鍋島緞通(なべしまだんつう)
木綿の糸で織った独特の模様と厚みが特徴のじゅうたんで、佐賀県の伝統的地場産品に指定されています。江戸時代に外国人から織り方を習った農家の使用人によって広まると、3代目藩主鍋島綱茂(つなしげ)が技術を保護して幕府への献上品に用いました。明治に入って一般に向けた販売がはじまり、明治6年にはウィーン万国博覧会に出品されました。
佐賀錦(さがにしき)
和紙に金・銀、漆(うるし)などをはって細く裁断したものを経糸(たていと)に、染色した絹糸を緯糸(よこいと)に使用して織り上げた布で、佐賀県の伝統的地場産品に指定されています。江戸末期の鹿島鍋島家藩主、鍋島直彜(なおのり)の妻が病床に伏していた際に天井の網代組(あじろぐみ)を見て考案し、後に改良されながら技法が確立しました。
佐賀県の食文化・食べ物
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続いて、佐賀県の主な食文化をご紹介いたします。
主な農産物
農業が盛んな佐賀県は、作物を育てるための耕地面積のうち約8割が水田で、複数のブランド米を生産しています。野菜は全国トップレベルの生産量を誇るタマネギのほか、小麦や大麦、大豆などが主に栽培されます。果物は、独自のブランドを有するイチゴや、ミカン、ナシ、キウイなどが多く出荷されています。
佐賀牛・みつせ鶏
佐賀県は畜産も盛んで、県内で飼育される黒毛和牛のうち、日本食肉格付協会によるランク4および5等級を満たし、霜降りの度合いを示すBMSのランク7段階以上をクリアした肉を「佐賀牛」と指定しています。また、フランスの優良肉用鶏の遺伝子をもつ「赤鶏」をベースに、飼料や飼育、休薬にこだわって育てた「みつせ鶏」も有名です。
主な海産物
海苔(のり)の収穫量は全国1位を誇り、貝類やエビを中心に、イワシやイカ、アジなども水揚げされます。唐津市の呼子町(よぶこちょう)は全国でも有数のイカの産地で、新鮮さが自慢の透明なイカを味わえます。また、「有明海のシンボル」とも呼ばれるムツゴロウは、かば焼きにして楽しめます。
だご汁
小麦粉と水を練って作った団子(だんご:だご)と、根菜やきのこ、豚肉などをみそまたはしょう油で味つけした汁ものです。方言で「手でちぎる」を「つんきる」というため、「つんきーだご汁」「つんきりだご汁」とも呼ばれます。もともとは農作業の合間に食べる簡単な食事でしたが、現在はもてなしや宴会の席でも供されます。
シシリアンライス
昭和50年ころ、佐賀市内の喫茶店で誕生したとされるご当地グルメです。基本形はプレート皿にご飯を盛り、その上に甘辛くいためた肉と生野菜を乗せてマヨネーズをかけたものですが、店によってアレンジが異なります。シシリアンライスの名前の由来は諸説ありますが、当時流行した映画のロケ地のシチリア島にちなんだ説が有力です。
佐賀県の伝統行事・祭り
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佐賀県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。
唐津くんち
11月に開催される唐津神社の祭りで、「鯛(たい)」や「赤獅子(あかじし)」などを載せた「曳山(やま)」と呼ばれる山車(だし)が佐賀県の重要有形民俗文化財に、曳山の行事が国の重要無形民俗文化財に指定されています。さらに、全国の「山・鉾(ほこ)・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。
最終日、曳山が急カーブを曲がって「御旅所(おたびしょ)」の砂地へ曳き込まれる場面が見どころです。祭りの起源は、文政2年に刀町(かたなまち)の細工師、石崎嘉兵衛(いしざきかへい)が京都の祇園祭の山鉾(やまぼこ)を模して赤獅子を制作し奉納したこととされています。「くんち」は「供日(くにち)」と書き、収穫に感謝する秋祭りの意味があります。
佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
10~11月に佐賀市の嘉瀬川(かせがわ)河川敷で開催される国際熱気球大会で、昭和55年からはじまりました。気流が安定する早朝と夕方には、操縦力を競う「タスク」の競技がおこなわれ、100機を超えるバルーンが一斉に浮上。昼間の「シェイプドバルーン(変形気球)」や夜間の「ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン」のほか、各種のイベントで盛り上がります。
小友祇園祭(こどもぎおんさい)
旧暦の6月(現在の7月)におこなわれる唐津市の八坂神社の祭りです。豪華に飾りつけられた高さ15m、重さ3tの山笠(やまかさ)をかつぎ、独特のかけ声とともに周辺の地域や海中を練り歩きます。万治元年に流行したコレラの退散を願い、お祓(はら)いをしながら街中を歩いたことが祭りの起源とされています。
伊万里トンテントン祭り
10月に開催される伊萬里(いまり)神社の祭りです。太鼓の「トンテントン」を合図に、「荒御輿(あらみこし)」と「団車(だんじり)」が組み合って川に落ち、先に上陸した方が勝ちとされます。荒御輿が勝てば翌年は豊作、団車が勝てば豊漁で、河畔に建つ2つの神社の祭りを南北朝時代の合戦に見立てたのが起源といわれますが、詳細は不明です。
有田陶器市
ゴールデンウイークに開催される全国でも有数の陶器市で、JR有田駅から上有田駅の間に450を超えるブースが軒を連ねます。有田では古くから、黒髪山(くろかみやま)を目指すお遍路さんに向けて、半端物の陶器を販売していました。明治時代に陶磁器品評会が開かれた際、同時に「蔵ざらえ大売出し」をしたことから陶器市がはじまりました。
佐賀県の建築物・遺産
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佐賀県の主な建築物や遺産は次のとおりです。
三重津海軍所跡
佐賀藩の海軍が船の係留や修理、造船のほか、教育の場として創設した場所で、現在は佐野記念公園として整備されています。現存するドックの中では国内最古とされ、洋式の船の技術を導入し近代化を目指した貴重な資料として、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のひとつに登録されています。
住所:佐賀市川副町大字早津江津446-1
公式サイト:http://www.saganet.ne.jp/tunetami/
佐賀城跡
鍋島家の基礎を築いた武将の鍋島直茂(なおしげ)らが、佐賀の豪族だった「龍造寺氏(りゅうぞうじうじ)」の居城「村中(むらなか)城」に手を入れ、慶長16年に完成させました。現在は石垣と国の重要文化財に指定されている「鯱(しゃち)の門」「続櫓(つづきやぐら)」のみが残り、城跡には本丸御殿の一部を復元した佐賀城本丸歴史館があります。
住所:佐賀市城内2-18-1
公式サイト:https://saga-museum.jp/sagajou/
吉野ヶ里(よしのがり)遺跡
神埼(かんざき)市と吉野ヶ里(よしのがり)町に広がる弥生時代の遺跡で、国の特別史跡に指定されています。昭和61年から佐賀県教育委員会によって本格的に発掘調査がはじまり、大規模な集落や祭りの場、墓などの存在が確認されました。現在は公園として整備され、広場や遊具のエリアなどのほか、各種の体験プログラムも楽しめます。
住所:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
公式サイト:https://www.yoshinogari.jp/
佐賀市歴史民俗館
佐賀市が保存する7つの歴史的建造物の総称で、佐賀市の重要文化財に指定されている「旧古賀銀行」「旧古賀家」「旧牛島家」「旧三省(さんしょう)銀行」「旧福田家」の5館のほか、平成28年に「旧森永家」「旧久富(ひさとみ)家」が加わりました。これらは無料で見学でき、コンサートなどのイベント会場としても利用が可能です。
住所:佐賀市柳町2-9
公式サイト:https://sagarekimin.jimdofree.com/
佐賀県独自の遺産
佐賀県は、各自治体が申請した県内の美しい景観や建造物などを審議し、県知事が認定する「佐賀県遺産」の制度を実施しています。認定された地域や建物は、22世紀まで残すべき貴重な資産として県が保存や活用を支援します。佐賀県遺産は、下記の公式サイト内のデータベースから検索できます。
佐賀県遺産データベース:https://www.pref.saga.lg.jp/dynamic/isan/info/pub/default.aspx?c_id=90
まとめ
【写真提供】佐賀県観光連盟
今回は、佐賀県の概要と主な文化や食べ物、伝統行事などについてご紹介いたしました。海外の文化をいち早く取り入れ、多くの分野で国の発展に尽力した佐賀県。現在は都市部へのアクセスが整い、自然と都会の両方を満喫できる点もメリットです。
「がばいすごか」(佐賀県の方言で「とてもすごい」)魅力が詰まった佐賀県に、ぜひ一度足をお運びください。