傘の歴史と豆知識。傘は日傘から始まった?

傘の歴史と豆知識。傘は日傘から始まった?

雨が降っているときや、日差しが強いときなどに大活躍する傘。雨傘・日傘とも、時代とともにデザインや形状・構造などバリエーションも増え、今ではオシャレを楽しむアイテムのひとつにもなっています。

雨に濡れない、日差しを遮る、という利便性にすっかり慣れてしまっていますが、傘を考えついた当時の人々にとっては、ちょっとした発明だったのではないでしょうか。そう考えると人類はいつから傘を使用していたのかが気になるところ。そこで今回は、傘の歴史や豆知識について紹介していきます。

傘の歴史

傘の歴史

昔の傘というと、時代劇などに出てくる傘をイメージする人も多いのではないでしょうか。実は傘の歴史は長く、起源は江戸の遥か昔、今から約4000年前にあったことがエジプトやペルシャなどの彫刻画や壁画がからわかっています。傘が一般的に使われ始めたのは古代ギリシャ時代。アテナイ(アテネの昔の呼び名)の貴婦人たちが日傘を従者に持たせて歩いている絵が残されています。こうしたことから、当時の傘は暑い日差しを遮る目的とともに、権力を象徴する道具として用いられていたと考えられています。

日本で傘と言えば、雨傘を連想される人が多いと思いますが、歴史を紐解くと、傘の歴史は日傘から始まったことがわかります。現在、傘には雨傘と日傘がありますが、西欧の伝統的な工法と材質で作られたものを「洋傘」、日本の伝統的な工法と材質で作られたものを「和傘」と呼んでいます。その違いは、雨や日差しを防ぐために骨組みを覆う幕(傘布)の材質が顕著で、洋傘は、防水加工した木綿や絹、ナイロン、ポリエステルなどを材料とするのに対し、和傘は、油紙(防水加工した和紙)などが用いられています。続いては、洋傘と和傘がどのように発展してきたか、それぞれの歴史について見ていきます。

洋傘の歴史

現代の洋傘は、ボタンを押すだけで傘が開く「ジャンプ傘(ワンタッチ傘とも)」や、折りたたんでコンパクトに収納できる「折りたたみ傘」などがあります。一般的に洋傘の骨は6~8本と少なくつくられていますが、デザインや耐久性を高めるために和傘のように16~14本でつくったものもあります。

その起源となった遥か昔の傘は、もちろん開閉式ではなく、王様など身分の高い人の頭上を天蓋(てんがい)のように覆って暑さをしのぐもの。ビーチパラソルのような大きな傘を従者が支えていたようです。このように洋傘は古代から暑さをしのぐ日傘として、時代とともに進化を遂げていきます。

開閉式傘の登場

開閉式の傘(日傘)が登場したのは13世紀のイタリア。当時の傘は、親骨(フレーム)にクジラの骨や木などが使用されていたようです。開閉式の傘は、その後、スペイン、ポルトガル、フランスなどヨーロッパに広がっていきます。18世紀の印象派を代表するフランスの画家、ルノワールやモネの作品には、日傘をさす婦人たちの姿が描かれています。

雨傘としての傘

雨傘としての傘

当時の傘は日傘であり、雨が降っても傘をさす習慣がなく、比較的雨が多いイギリスでも同じでした。イギリスで現在の構造(開閉式)の傘が開発されたのは18世紀頃。日傘として開発されたため、雨が降っても傘はささずに濡れていたそうです。

洋傘はどうやって日本に伝わった

日本洋傘振興協議会の資料によると、日本に洋傘が入ってきたのは江戸時代で、洋傘文化が広まったのは、西欧文化が流れ込んできた明治時代であることがわかります。

はっきりと洋傘として特定できる最古の記録は、江戸後期の1804年、長崎に入港した中国からの唐船の舶載品目の中の「黄どんす傘一本」という記述であるとされています。

天保年代(1830~1843年)に書かれたと見られる「崎陽雑話」という筆写本には、「蘭人の雨傘」という絵入りの記録があり、そこには、クジラのヒゲを骨として使っていたという珍しい傘の記録が残されています。

多くの日本人が目にしたのは黒船来航のとき

前述のように、洋傘についていくつかの文献が残されているものの、長く鎖国が続いていたこともあり、洋傘が普及することはありませんでした。普及のきっかけとなったのが、1853年(嘉永6年)のペリー浦賀来航です。翌1854年(安政元年)、日米和親条約締結のためにペリーが浦賀に再来しますが、この歴史的出来事にかなりの野次馬が集まったそうです。そして、このとき、ペリーとともに上陸した上官たちが傘をさしていた姿を、多くの日本人が目にすることになったそうです。

なお、洋傘のことを「こうもり傘」とも言いますが、その語源は傘を「かぶる」が「こうむる」となり、それが転じたなど諸説ありますが、ペリーが来航したときの様子を「蝙蝠(こうもり)のように見ゆ」と比喩したことから生まれたという説が有力とされています。

洋傘の普及は文明開化の波とともに

1859年(安政6年)に、洋傘の本格的な輸入が始まりますが、とても高価なため江戸庶民には手の出せない代物で、使用していたのは、武家、医師、洋学者といった一部の人たちでした。

明治時代に入り、西洋文化の広がりとともに洋傘も普及し始め、明治元年(1868年)に刊行された「武江年表」という書物には、「庶民にも洋傘が普及し始めた」ことが記されています。こうして文明開化の波とともに洋傘は一般的となり、鹿鳴館時代には国産の洋傘が誕生することになります。

和傘の歴史

和傘の歴史

古くは5世紀後半~6世紀の古墳時代、朝鮮半島から「蓋(きぬがさ)」という、絹を張った長柄の傘が伝来したと言われ、日本書紀のなかに「蓋」の文字が記されています。

平安時代の末期に絵画化された「源氏物語絵巻」のなかにも和傘が描かれているほか、室町時代、職人の姿や職人同士の会話などが描かれた「七十一番職人歌合戦」には、傘張り職人の姿が描かれています。

1594年(安土桃山時代)には、堺の商人・納屋助左衛門がルソンより現在の傘のような「ろくろ式」を持ち込み、豊臣秀吉に傘を献上した記録が残されています。ちなみに「ろくろ」は、開閉式傘の重要な部品で、傘の親骨を束ねる「上ろくろ」と、内側で受骨を束ね中棒(シャフト)をスライドする「下ろくろ」があります。

元禄時代になると、傘の柄も短くなり、「蛇の目傘」が僧侶や医者たちに使われるようになったほか、歌舞伎の小道具としても使われるようになりました。

安政の時代、浮世絵師の歌川広重が江戸の暮らしぶりをとらえた代表作「名所江戸百景」には、夕立のなか傘をすぼめて急ぐ人の姿が描かれています。また、喜田川歌麿の美人画にも傘をさしている町人の姿が多く見られるなど、傘が江戸の人々の生活必需品であったことがうかがえます。しかし、明治以降、洋傘が普及し始めたことにより和傘の利用が減り、再び日傘として観光地での貸し出し用や、旅館のお出迎え、和菓子屋の店先などに使用される程度となっています。

和傘とは?

和傘というと時代劇などに出てくる番傘(ばんがさ)がおなじみで、ほかにも蛇の目傘(じゃのめがさ)、端折傘(つまおれがさ)などの種類があります。和傘の特徴として、洋傘の生地にあたる傘布部分には和紙が使用され、上から柿渋や油などを塗って防水加工が施されています。骨組み部の違いとしては、洋傘の骨が数本程度であるのに対して、和傘には数十本の骨で支える構造で、骨の部材にはおもに竹や木が使用されています。

番傘

江戸の庶民が使用していた傘で、柄と骨が竹でできていて、そこに無地の和紙を貼っただけのシンプルでがっしりとしたつくりです。

蛇の目傘

柄に細い木棒が使われたり、色柄の美しい和紙が貼られたりと番傘よりも華やかなつくりをしています。一般には傘の中央部と縁には青い紙を貼り、その中間には白い紙を貼ったつくりになっていて、傘を開いたときに大きな蛇の目に見えることから蛇の目傘と呼ばれるようになりました。

端折傘

公家の外出の際に、従者が貴人に差しかける柄の長い大きな傘。傘で人を傷つけないように、油紙を支える骨の先端を内側に折り曲げたつくりになっていることからその名がつきました。「骨の先=爪」を折るということから爪折になり、転じて「妻折傘(つまおりがさ)」とも呼ばれています。

傘の豆知識

傘の豆知識

6月11日は「傘の日」であることをご存知ですか。これは、6月11日が雑節(日本人の生活文化から生まれた日本独自の暦日)の入梅にあたることから、1989年に日本洋傘振興協議会によって制定されました。このように「傘」に関する雑学や、あまり知られていない豆知識について紹介します。

日本の年間消費量は1億2千万本以上

朝天気予報をチェックして雨が降りそうな場合、傘を持って出かける、あるいはいつ降られてもいいようにバッグの中にはつねに折り畳み傘を携帯している用心深い人もいると思います。ところが、予想外の雨や、うっかりバッグに入れ忘れた日に限って雨に降られ、コンビニなどでビニール傘を買ったことのある人もいるのではないでしょうか。ところで、国内において傘は年間どれくらい消費されているかご存知ですか?日本洋傘振興協議会によると、日本における傘の消費量は年間で1億2000万本~1億3000万本と多く、その消費量は世界一と言われています。

【参考】よくある質問 | 日本洋傘振興協議会

傘の寿命。どれくらいで買い換える?

強風にあおられて骨組みが曲がったり、折れてしまったり、生地の部分が破れてしまったり…。安価なビニール傘の場合、修理して使い続ける人は少ないでしょう。傘の寿命は、生地に防水のコーティングがされた一般的な傘(ビニール傘ではない傘)の場合、生地部分の耐用年数は約3~4年、骨組みの耐用年数は約5~6年とされています。生地や骨組みは修理することで、それ以上使い続けることができます。ビニール傘も耐用年数は約3~4年と言われていますが、安価なものは比較的に骨組みなどの強度が弱く、強風などにあおられて壊れてしまうことがあります。

いっぽう、UVカット加工が施された日傘の場合、UVカット加工の耐用年数は約2~3年とされ、この耐用年数が日傘の寿命と考えられています。日傘の場合、「UVカットスプレー」などでお手入れすることで、より長く使用することができます。

最近の日傘は内側が黒色

紫外線から肌を守るため日傘をさす人のなかには、その日のファッションに合わせて、日傘をコーディネートしている人もいるのではないでしょうか。いろんなカラーやデザインの日傘がありますが、色によっては逆に紫外線を取り込んでしまうことをご存知でしょうか。

特に日傘の場合、降り注ぐ日差しを遮れたとしても、地面からの紫外線の照り返しによって乱反射が起き、顔の部分に紫外線が集中します。そのため、UVカット加工が施されていれば表面の色は何色でも問題ありませんが、内側の色選びは重要です。白やシルバーは乱反射が起きやすいのでご注意を。黒は乱反射が起きにくい色とされているため、日傘は内側が黒の色を選ぶのがおすすめです。

傘を長持ちさせるコツ

「久しぶりに傘を開いたら強烈な臭いがした」という経験をお持ちの人もいるのではないでしょうか。雨に濡れた傘を乾かさずにたたんでしまうと、湿気がたまりカビや雑菌の温床に…。その結果、強烈な臭いを放つとともに、雨水が乾ききっていないと、傘骨がサビたり生地が変色する原因にもなります。

傘を使用したあとは傘を開いて、風通しのいい場所で陰干しするようにしましょう。傘がビショビショに濡れている場合、タオルなどで拭いてから陰干しすることで乾燥時間を短縮できます。なお、天気がいいからと直射日光に当てると、色褪せや表面加工の効力を損ねてしまうのでご注意ください。

お気に入りや優れモノの傘で、毎日をオシャレに快適に!

今回は「傘」についていろいろ紹介してきました。普段何気なく使用している傘に、こんなにも壮大な歴史があったなんて、と驚かれた人もいるのではないでしょうか。今では、さらに進化し、超軽量タイプの傘や、強風でもひっくり返らない傘、ちょこんと座れる椅子傘などが販売されているほか、ドローン技術を活用して頭の上で傘の部分だけが浮いている手で持たない傘が開発されています。いっぽう和傘も日本の伝統美が外国の人々から人気を集めています。

この機会にぜひ、お気に入りの傘を見つけてみてはいかがでしょうか。

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