2022年1月13日 | お役立ち情報
宮崎県ってどんなところ?宮崎の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!
画像:宮崎県観光協会
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「宮崎県」です。雄大な自然と数々の古墳、日本誕生の神話が残る宮崎県は、かつて地域ごとにさまざまな有力者が支配し、複雑な歴史をたどってきました。先人の偉業を大切に引き継ぎ、自然と産業、人々のつながりを基盤に発展する宮崎県の魅力をお楽しみください。
宮崎県の基本情報
はじめに、宮崎県の基本情報をご紹介いたします。
歴史と産業
県内では、およそ3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかっています。かつて宮崎県は5つの郡から成る日向国(ひゅうがのくに)と呼ばれ、国の中枢は現在の西都(さいと)市に置かれました。平安時代には多くの荘園(しょうえん)が誕生、現在の都城(みやこのじょう)市には「島津荘」と呼ばれた国内最大の荘園も存在しました。
後に、鎌倉幕府の御家人(ごけにん)であった惟宗忠久(これむねただひさ)が島津氏を名乗り、伊豆国(いずのくに)から入国した伊東氏と勢力を二分しますが、豊臣秀吉の九州統一によって国割が改変。主に延岡(のべおか)や飫肥(おび)などの藩と、鹿児島の薩摩(さつま)藩や熊本の人吉(ひとよし)藩が支配する地域に分断されました。
明治4年の廃藩置県で延岡・飫肥・鹿児島・人吉・高鍋(たかなべ)・佐土原(さどわら)の6県が誕生。同年に美々津(みみつ)・都城の2県に分轄しますが、統合や合併などを経て同16年に現在の宮崎県が確立しました。
戦後の宮崎県は主に電力の確保に力を入れ、各地域に水力発電所を設置します。昭和29年には宮崎空港が開港し、観光の基盤が続々と整備されました。同62年に施行された総合保養地整備法(リゾート法)では、「宮崎・日南海岸リゾート構想」が第1号の指定を受けています。
古くから農林業の盛んな宮崎県は、キュウリや柑橘(かんきつ)類、スギの丸太の素材生産量がそれぞれ全国1位。日向・延岡地区は、新産業都市として主に農産・林産の加工を担います。また宮崎市には、航空機や自動車部品、IT産業などの企業が進出しています。
面積と人口
宮崎県の面積は約7,735㎢で、九州地方では鹿児島県に次いで2番目、全国では14番目の広さです。9市・14町・3村から成り(令和3年10月現在)、地域は延岡市などを含む「北部」、宮崎市などを含む「中部」、都城市などを含む「西部」、日南(にちなん)市などの「南部」に分かれます。
人口は1,081,654人で、全国では36番目です。県内でもっとも人口が多い市は宮崎市(400,816人)で、都城市(162,700人)、延岡市(120,013人)と続きます。(令和3年4月現在)
【参考】
国土地理協会「2021年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」
県の位置と県庁所在地
宮崎県は東経約130~131°、北緯約31~32°に位置します。黒潮の影響により年間を通して暖かく、快晴の日数は全国で1位、平均年間降水量も全国1位です。県面積のうち76%が森林で、南部には観光地として有名な日南海岸があります。
県庁所在地は宮崎市で、神武(じんむ)天皇をまつる宮﨑神宮、国の名勝・天然記念物に指定されている高千穂峡(たかちほきょう)などがあります。
県名の由来
宮崎地方には日本の初代天皇である神武天皇の皇居があったという伝説から、天皇を表す「宮」と、宮がある地または岬を表す「埼」がつながったと考えられています。平安時代の漢和辞書である「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)、略して和名抄(わみょうしょう)」には「宮崎郡」の名称が記載されています。
宮崎県の文化
画像:宮崎県観光協会
宮崎県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。
若山牧水(わかやまぼくすい)
若山牧水は日向市の出身の歌人で、現実をありのままに表現する「自然主義」の思潮を受け、43年の生涯でおよそ9千の歌を詠みました。「海の声」をはじめとする歌集のほか、紀行文や随筆、童話などの作品が残されています。「牧水」とは20歳のころから使いはじめたペンネームで、本名は「繁(しげる)」です。
日向神話
「古事記」や「日本書紀」に記された「日向神話」は宮崎県が舞台とされ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の指示で孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が神の国から高千穂に降り立つ場面からはじまります。息子の火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦:やまさちひこ)の孫が神武天皇として国を統治するまでの物語は、現在も宮崎県で語り継がれています。
夜神楽(よかぐら)
「神楽」とは神をまつるための舞楽(ぶがく:舞や雅楽)のことで、県内ではさまざまな神楽を伝承しています。国の重要無形民俗文化財に指定されている高千穂の夜神楽は、11~2月の夜に「神楽宿(かぐらやど)」と呼ばれる民家や公共施設に神を招き、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って舞を披露します。
碁盤(ごばん)・碁石(ごいし)
囲碁(いご)に使用する碁盤は、弾力に優れ木目や色などが美しい榧(かや)の木が最適とされます。宮崎県の「日向榧」は高級品として古くから知られ、碁盤を製作する高度な技術とともに受け継がれています。また、日向市で取れる日向蛤(はまぐり)は、硬い組織や細かい縞(しま)、輝きなどが最高級とされ、白い碁石の材料に用いられます。
都城の大弓(だいきゅう)
長さ2mを超える弓で、真竹(まだけ)と櫨(はぜ)の木を使用して作られます。都城の大弓は国の伝統的工芸品に指定されており、県内ではじめて地域団体商標にも登録されました。製法の技術は江戸時代に確立したとされ、1人の職人が手作業で仕上げます。現在は5名の職人が技術を引き継ぎ、全国の生産量の9割を製作しています。
宮崎県の食文化・食べ物
画像:宮崎県観光協会
続いて、宮崎県の主な食文化をご紹介いたします。
きんかん・日向夏(ひゅうがなつ)
どちらもミカン科の果物で、生産量は全国1位を誇ります。宮崎県産の大玉のきんかんは皮が柔らかいため、そのまま食べたり薄切りをサラダに加えたりします。日向夏は、実だけでなく皮をマーマレードなどに加工して食べます。江戸時代に宮崎市の民家に成った実が発見されたことから栽培がはじまり、原木はかつて天然記念物に指定されました。
海産物
宮崎県はカツオの一本釣りの漁獲量が日本一で、「カツオ飯」や炙(あぶ)り焼きなどが有名です。串間(くしま)市では古くから「夏の使者」と呼ばれるトビウオ漁がおこなわれ、延岡市ではメヒカリの名物料理が食べられます。また、完全養殖によるシロチョウザメの生産量は全国1位で、採れた卵はキャビアとして海外にも輸出しています。
宮崎牛
宮崎県で産まれて飼育された黒毛和種のうち、脂肪の入り方や肉の色、締まり方などの肉質を表す等級が4または5等級の条件を満たした牛肉を指します。宮崎牛の霜降り肉はキメが細かく、舌ざわりや滑らかさ、コクに特徴があり、「全国和牛能力共進会」で連続して内閣総理大臣賞を受賞するほどの名品として知られます。
チキン南蛮
宮崎県は、ブロイラーと呼ばれる食肉用の若鶏の生産量が全国トップクラスです。鶏肉を用いたチキン南蛮は、昭和30年代に延岡市の洋食店で出された賄(まかな)いがはじまりとされ、タルタルソースをかけたタイプと甘酢のタレで味わうタイプがあります。有志の団体が7月8日を「南蛮の日」と定め、イベントの開催などに取り組んでいます。
冷や汁
焼き魚とみそ、ゴマを使用した出汁(だし)を冷やし、キュウリや豆腐をのせた麦飯にかけて味わう郷土料理で、宴会の締めに出されることもあります。かつて農民が麦飯とみそに水をかけ、作業の合間に食べたものが発祥とされます。海の幸と山の幸をうまく取り入れ、暑さが厳しい宮崎県ならではの一品として、全国的に知られる夏バテ解消メニューです。
宮崎県の伝統行事・祭り
画像:宮崎県観光協会
宮崎県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。
御神幸祭(ごしんこうさい)
宮﨑神宮の10月の祭りで、神武天皇をまつることから「神武さま」と呼ばれます。明治42年ごろから、御獅子を先頭にした「御神幸行列」とパレードの「神賑(かみにぎわい)行列」の形式になりました。天明4年の資料に神輿(みこし)が練り歩いた様子が記されており、明治13年には神様を拝みたいという町民の願いで25日間も神輿が滞在しました。
延岡大師祭
九州三大春祭りのひとつで、延岡市の今山(いまやま)大師で4月に開催されます。「おだいっさん」の名で親しまれ、期間中は各種のパレードやダンス、演芸のほか、飲食物を振舞う「お接待(せったい)」などが繰り広げられます。天保10年の疫病がきっかけで建てられた弘法大師像と、明治22年に奉納された石仏像が古くから参拝され、現在に至ります。
日向ひょっとこ夏祭り
日向市内で8月に開催される祭りで、地域の活性化や文化の継承などを目的として昭和59年にはじまりました。赤い着物に手ぬぐいをかぶった「ひょっとこ」と「おかめ」、「キツネ」が独特のリズムに合わせて愉快に踊り、技を競い合います。日向(正式には永田:ながた)のひょっとこ踊りは、市の無形民俗文化財に指定されています。
十五夜祭
県北三大祭および日向三大祭のひとつで、中秋の名月の時期に開催されたことから「十五夜さん」と呼ばれます。手ごろな材料で作った見立て細工などが奉納され、舞踊や各種のイベントで盛り上がります。平安時代の壇ノ浦の戦いに敗れた平家を追い、2人の武将が日向の富高(とみたか)に入って創建した八幡宮の祭礼が起源とされます。
飫肥城下まつり
「九州の小京都」と呼ばれる日南市の飫肥城下で、10月に開催されます。武将や姫などの衣装をまとって練り歩く時代絵巻のようなパレードや、県の民俗無形文化財に指定されている「泰平踊(たいへいおどり)」などが見どころです。日本100名城に選ばれている飫肥城の周辺は、昭和40年代に観光を目的に整備され、同53年に祭りがはじまりました。
宮崎県の建築物・遺産
画像:宮崎県観光協会
宮崎県の主な建築物や遺産は次のとおりです。
宮崎の古墳群
宮崎平野には、およそ1400年も前の古墳が当時に近い景観で多く残っています。平成30年には、西都原(さいとばる)古墳群をはじめとする16の文化財が日本遺産に認定されました。古墳の形状や大地に描かれた模様などが大切に保存されており、周囲には建築物などがないため古代の暮らしを想像しながら見学できます。
日本遺産 南国宮崎の古墳景観
公式サイト:https://miyazaki-kofun.jp/
西都原古墳群
住所:西都市大字三宅西都原5670
公式サイト:http://mppf.or.jp/saito/
世界農業遺産
宮崎県の北部に位置する高千穂町、日之影(ひのかげ)町、五ヶ瀬(ごかせ)町、諸塚(もろつか)村、椎葉(しいば)村は、「高千穂郷・椎葉山地域」として平成27年に世界農業遺産に認定されました。県の北部は平地が少なく農業を営むには厳しい場所ですが、環境を生かした取り組みや地域のコミュニティ、歴史などが高く評価されています。
公式サイト:https://takachihogo-shiibayama-giahs.com/
宮崎観光遺産
宮崎県は平成20年に観光資産の公募をおこない、同21年に10件の「宮崎観光遺産」を選定しました。宮崎観光遺産には、神話に関わる宮崎市の「阿波岐原(あわきはら)のみそぎ池」、西都市の「記紀(きき)の道」のほか、霧島市や都城市などの「霧島周辺神社群」、五ヶ瀬町の「三ヶ所(さんがしょ)神社」などが認定されています。
公式サイト:http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/komiya/viewpoint_0908.htm
宮崎県庁舎
昭和7年に建てられた本館は、国内で4番目に古い庁舎です。本館と正門門柱、東門門柱が国の有形文化財、本館と5号館が宮崎市の景観重要建造物に指定されています。18世紀後半のネオ・ゴシック様式を取り入れた重厚感あふれる建物の前に、フェニックスやサボテンなどの亜熱帯植物が繁茂する景観は印象的です。
住所:宮崎市橘通東2-10-1
公式サイト:https://www.pref.miyazaki.lg.jp/zaisansogokanri/kense/koho/index.html
まとめ
画像:宮崎県観光協会
今回は、宮崎県の概要と各種の文化や伝統行事、遺産などについてご紹介いたしました。サンサンと太陽が降り注ぐ大地に、先人の築いた歴史と文化が今も息づく宮崎県。海の幸と山の幸が豊富に味わえる点も大きな魅力です。
「おもてなし日本一」を掲げ、温和で素朴な人々が待つ宮崎県に、ぜひ足をお運びください。