鹿児島県ってどんなところ?鹿児島の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!

鹿児島県ってどんなところ?鹿児島の文化・食べ物・お祭り・県名の由来などを紹介!
写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「鹿児島県」です。本土最南端に位置することから海外文化の影響を多大に受け、歴史上国内初となる諸事例を経験。数々の偉人を輩出しつつ、激動の時代を乗り越えてきました。今回は、主な歴史をひも解きながら鹿児島県の魅力に迫ります。

鹿児島県の基本情報

鹿児島県の基本情報

はじめに、鹿児島県の基本情報からご覧ください。

歴史と産業

古くから大陸との交易が盛んだった鹿児島県を窓口として、日本に鉄砲やキリスト教が伝来したのは1540年代。窓口のひとつである種子島(たねがしま)には、すでに3万年以上前の旧石器時代から人々が生活していました。古代の南九州に居住した「熊襲(くまそ)」「隼人(はやと)」と呼ばれる部族は、8世紀ごろの政権にも関与したといわれます。

鎌倉時代には、惟宗忠久(これむねのただひさ)が島津(しまづ)家初代の島津忠久(ただひさ)を名乗り、薩摩(さつま)地方で勢力をふるいます。のちの17代当主島津義弘(よしひろ)は、1600年の関ヶ原の戦いで敗戦した後も交渉を重ね、薩摩・大隅(おおすみ)・日向(ひゅうが)の地を守りました。1851年、薩摩藩主となった28代当主島津斉彬(なりあきら)は、科学の知識を生かした采配(さいはい)で軍事増強を図ります。

1866年には、開国と倒幕に関わった薩摩藩と長州藩(現在の山口県)が「薩長同盟(さっちょうどうめい)」を締結。西郷隆盛(さいごうたかもり)らは幕府と交渉して平和的解決へと導き、大久保利通(おおくぼとしみち)らとともに明治政府を樹立しました。1871年の廃藩置県により、鹿児島県が誕生。1877年の西南戦争では、西郷率いる武士と政府軍による内乱が起こります。

第二次世界大戦中は、防衛の最前線として多くの基地が置かれました。知覧(ちらん)や出水(いずみ)などの飛行場は、特攻隊(とっこうたい)が飛び立ったことでも知られます。

戦後は野菜や果樹栽培、畜産などに力を入れ、現在の農業産出額は国内トップクラスを保っています。1952年にトカラ列島、翌年に奄美(あまみ)群島がアメリカから日本に復帰。1960年代にはロケットの打ち上げ施設が県内2ヵ所に建設され、「宇宙にもっとも近い」県として宇宙産業にも力を入れます。

2011年に九州新幹線鹿児島ルートが開通し、鹿児島~博多間を最速1時間17分で移動できるようになりました。

面積と人口

鹿児島県の面積は約9,188㎢で、九州地方で1位、全国では10位の広さです。県内には約600の離島があり、うち26島が有人です。離島の総面積は約2,485㎢で県全体の約27%を占め、島の人口とともに全国1です。19204からなる鹿児島県(令和3年5月現在)は、「鹿児島」「南薩(なんさつ)」「北薩(ほくさつ)」「姶良(あいら)・伊佐(いさ)」「大隅」「熊毛(くまげ)」「大島」の7つの地域に分かれます。

県人口は1,581,032人(令和3年4月1日現在)で、全国では24番目です。もっとも多いのは鹿児島市(600,890人)、次いで霧島(きりしま)市(124,623人)、鹿屋(かのや)市(101,722人)です(令和2年4月現在)。

【参考】
鹿児島県公式「月報(毎月推計人口)」
公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」

県の位置と県庁所在地

鹿児島県は北緯約27~32°、東経約128~131°に位置し、南北の距離は約590キロ、東西は約272キロにわたります。県内には桜島をはじめとする11の活火山があり、鹿児島県のおよそ半分は「シラス」と呼ばれる火山灰が積もった「シラス台地」でできています。

県庁所在地は鹿児島市で、桜島や鶴丸(つるまる)城跡、島津家別邸の「仙巌園(せんがんえん)」などの観光スポットが人気です。

県名の由来

8世紀の歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、鹿児島の地名がはじめて登場します。鹿(しか)の子が多く生息していた説、火山を意味する「カグ」が変化した説、「かこ」と呼ばれた水夫(すいふ:船乗り)が多かった説など、県名の由来はさまざまです。

かつては桜島を鹿児島と呼びましたが、次第にその範囲が広がり、現在の鹿児島市や県全体を指すようになりました。

鹿児島県の文化

鹿児島県の文化写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

鹿児島県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。

上野原(うえのはら)遺跡

霧島市の東部、標高約250mに位置する上野原遺跡は、約9500年前の縄文時代から人々が生活し、数々の文化が発展した場所です。1997年に竪穴(たてあな)住居跡や調理場とされる「集石(しゅうせき)」などが発見され、国内最大級・最古級の定住集落跡として1999年に国の史跡に指定されました。

鉄砲の伝来

1543年、種子島に漂着した中国船に鉄砲(火縄銃:ひなわじゅう)を持ったポルトガル人が乗っていました。島の領主が大金をはたいて2丁を購入し、操作法や製造法を習得。島内の鍛冶(かじ)が製造した鉄砲は「種子島」と呼ばれ、後に戦国大名の武器として全国で装備されました。

キリスト教の伝来

1549年には、スペインの宣教師であるフランシスコ・ザビエルの一行が上陸します。15代当主島津貴久(たかひさ)が布教を許可し、国内ではじめて布教活動がスタートしました。しかし、仏教徒の勢力による抵抗などから後に活動は禁止されます。ザビエル一行は、拠点を長崎県や山口県に移して活動を続けました。

本場大島紬(ほんばおおしまつむぎ)

1300年の歴史を誇る奄美大島の織物で、1980年に国の伝統的工芸品に指定されています。大島紬は絹100%、あらかじめ染め上げた「先染め(さきぞめ)」糸による手織り、縦と横の糸を1本ずつ交差させる「平織り(ひらおり)」など、5つの定義をもちます。商品には、地球マークの検査商標や「本場奄美大島」の登録商品名が表記されています。

薩摩切子(さつまきりこ)

薩摩藩のガラス製造は、27代当主島津斉興(なりおき)のもと、江戸の職人が薬びんを作ったことがはじまりです。後を継いだ斉彬は着色ガラスの研究に加え、透明ガラスに着色ガラスを重ねて模様を刻む薩摩切子を交易品として開発するよう指示しました。独特のグラデーションが特徴の薩摩切子は、1997年に県の伝統的工芸品に指定されています。

甲冑(かっちゅう)

「尚武(しょうぶ)」の国として武道や武術を大切にしたことから、鎧兜(よろいかぶと)や刀などの武具の製造が盛んでした。県内のメーカーがその文化を継承し、当時の武将が着用した鎧兜を忠実に再現・製造しています。現在、鎧兜は販売やレンタルだけでなく、多くのドラマや映画の撮影にも使用されます。

鹿児島県の食文化・食べ物

鹿児島県の食文化・食べ物
写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

続いて、鹿児島県の食文化をご紹介いたします。

サツマイモ・ダイコン

サツマイモは1698年に琉球から種子島、1705年に本土に伝わったとされ、県内の収穫量は全国1を誇ります。ねっとりとした独特の甘みが特徴の「安納芋(あんのういも)」は、種子島で栽培されています。

また、「桜島ダイコン」は一般的なダイコンよりも大きくて重量があり、柔らかく甘みがあることでも知られます。なお、鹿児島県の農業産出額は九州のなかで1位、全国では北海道に次ぐ2位です。

【参考】
農林水産省「令和2年産かんしょの作付面積及び収穫量」
農林水産省「令和元年 農業産出額及び生産農業所得(都道府県別)」

さつま揚げ

江戸時代、魚のすり身を油で揚げた「チキアーギ」が琉球から鹿児島に伝わりました。その後、揚げる調理法と古来のかまぼこの製法が合わさり、現在のさつま揚げが誕生したとされます。さつま揚げを表す方言「つけあげ」は、チキアーギから変化した言葉です。審査に通ったさつま揚げは、鹿児島県の「ふるさと認証食品」として販売されます。

黒豚

鹿児島産の黒豚は、400年ほど前に18代当主島津家久(いえひさ)が琉球から持ち込んだとされ、西郷隆盛や水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)も好んだといわれます。明治時代にイギリスから導入した品種「バークシャー」との交配により、「柔らかい・歯切れがよい・うまみがある」黒豚のブランドとして確立しました。

鶏飯(けいはん)

奄美地方の郷土料理で、ご飯の上に鶏肉やしいたけ、錦糸卵、ミカンの皮などを乗せ、鶏ガラスープをかけて食べます。島の住人が薩摩藩の役人をもてなすために貴重な鶏肉を用いたことがはじまりとされ、当時は炊き込みご飯のような仕上がりでした。2007年には、農林水産省の「農山漁村の郷土(きょうど)料理百選」に選ばれています。

白熊(しろくま)

練乳をかけたかき氷にパインやミカン、サクランボなどの果物や、甘納豆、寒天などを乗せたボリュームのある氷菓子です。1946年創業の鹿児島市内の洋食屋が発祥で、当時は氷に2色の蜜(みつ)をかけたものでした。イチゴとミルクの組み合わせをヒントに改良を重ね、見た目が似ていることから白熊と名づけました。

芋焼酎(いもじょうちゅう)

16世紀ごろの国内では、米から蒸留酒を製造していました。江戸時代になると、斉彬が芋から工業用アルコールを作り出す技術の開発に取り組みます。後にこの技術を基に、飲用の芋焼酎が製造されました。1997年には国内ではじめて、麹(こうじ)にもサツマイモを使用したイモ100%の焼酎が誕生しています。

鹿児島県の伝統行事・祭り

鹿児島県の伝統行事・祭り写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

鹿児島県に伝わる主な伝統行事や祭りは、次のとおりです。

南薩摩の十五夜行事

旧暦8月15日(現在の9月)に南薩地域でおこなわれる祭りで、枕崎(まくらざき)市、南九州市知覧(ちらん)町、南さつま市坊津(ぼうのつ)町の十五夜行事は国の重要無形民俗文化財に指定されています。豊作の祈願と感謝を表す祭りは、綱引きや相撲のほか、一部の地域ではわらで作った笠(かさ)や腰みのをつけた踊りで盛り上がります。

六月灯(ろっがっどう)祭り

旧暦の6月(現在の7月)に、県内の神社や寺院が各々日を決めておこなう伝統的な祭りです。氏子(うじこ)が絵や文字を書いた和紙を灯篭(とうろう)の木枠にはりつけ、神社や寺院に奉納した後、境内につり下げて灯り(あかり)を入れます。祭りの期間は、県内の各所で華やかな灯篭と多くの夜店が並びます。

曽我(そが)どんの傘(かさ)焼き祭り

鹿児島三大行事のひとつで、7月に甲突川(こうつきがわ)河畔で開催されます。和傘のやぐらを組んで歌や踊りなどを披露した後、傘に火を放って燃やします。鎌倉時代に曽我兄弟が父親の仇討ち(あだうち)を遂げる際、松明(たいまつ)の代わりに和傘を燃やしたことが由来とされています。

おはら祭り

11月2・3日に鹿児島市の天文館(てんもんかん)一帯でおこなわれる南九州で最大規模の祭りです。鹿児島に伝わる民謡の「おはら節」が名前の由来で、戦後の1949年に市制施行60周年記念行事として市民の間で誕生しました。総踊りや太鼓の演舞、パレードなどの参加者は2万人を超え、子ども向けのイベントや花電車の運行も楽しめます。

鹿児島県の建築物・遺産

鹿児島県の建築物・遺産写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

鹿児島県の主な建築物や遺産は次のとおりです。

屋久島

最大・最古とされる縄文杉をはじめ、貴重な大自然が残る島として1993年に国内ではじめて世界自然遺産に登録されました。白谷雲水峡(しらたにうんすいきょう)は、樹齢1,000年を超える屋久杉や苔(こけ)などが生育する神秘的な森として人気があります。希少動物の種類も多く、日本の滝百選「大川の滝」など、見どころ満載です。

住所:鹿児島県熊毛郡屋久島町
屋久島町公式サイト:http://www.town.yakushima.kagoshima.jp/

産業革命遺産

2015年、811市にわたる23の資産が「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されました。製鉄や造船、ガラスなどの産業を島津家別邸に集結させた「集成館事業」のうち、「旧集成館」「寺山炭窯(すみがま)跡」「関吉の疎水溝(せきよしのそすいこう)」が鹿児島県の資産として登録されています。

【住所】
旧集成館:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
寺山炭窯跡:鹿児島県鹿児島市吉野町10710-68
関吉の疎水溝:鹿児島県鹿児島市下田町1263
公式サイト:http://www.japansmeijiindustrialrevolution.com/site/kagoshima/

出水麓(ふもと)武家屋敷群

内部を「外城(とじょう)」と呼ばれる区画で分け、各地域に武家の集落を配置した薩摩藩。肥後国(ひごのくに:現在の熊本県)と隣接し、防衛上の重要な位置を占めた出水の武家屋敷群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。石垣や碁盤(ごばん)の目の町割りなど、当時の面影を残す観光地として国内外から人気があります。

住所:鹿児島県出水市麓町
公式サイト:https://www.izumi-navi.jp/feature/buke.html

鹿児島(鶴丸)城跡

1602年に家久が築いた城で、背後の山の地形が羽を広げた鶴に似ていることから鶴丸城とも呼ばれます。「城館(じょうかん)」と呼ばれる武家の伝統を取り入れ、本丸と二之丸を山に、居住する屋形(やかた)を麓に置きました。現在は、石垣と復元された国内最大級の「御楼門(ごろうもん)」が公開されています。

住所:鹿児島県鹿児島市城山町7-2
公式サイト:www.pref.kagoshima.jp/ab24/cms/documents/kagosimajou/kagosimajou.html

ロケットの打ち上げ施設

国内でロケットの打ち上げ施設があるのは、鹿児島県だけです。「内之浦宇宙空間観測所」では国内初の人工衛星「おおすみ」や小惑星探査機「はやぶさ」、イプシロンロケットなどを打ち上げています。主に観測衛星を打ち上げる「種子島宇宙センター」では、ロケットの組み立てから点検、打ち上げ、追跡まで一連の作業が可能です。

【内之浦宇宙空間観測所】
住所:鹿児島県肝属郡肝付町南方1791-13
公式サイト:https://www.jaxa.jp/about/centers/usc/index_j.html

【種子島宇宙センター】
住所:鹿児島県熊毛郡南種子町大字茎永字麻津
公式サイト:https://www.jaxa.jp/about/centers/tnsc/index_j.html

鹿児島県の県民の日

鹿児島県の県民の日写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

明治元年から150年目にあたる2018年、鹿児島県は廃藩置県で県が誕生した714日を県民の日に制定しました。県の歴史や文化に触れ理解と関心を深め、郷土への愛を育み、今後の鹿児島県を豊かに築き上げることを目的としています。

県民の日は休日ではなく、県内施設への入館料の割引・無料、各種プレゼントやイベントの実施などが企画されています。

まとめ

まとめ写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

今回は、鹿児島県の概要や各種の文化と伝統行事、遺産や建築物などについてご紹介いたしました。鉄砲やキリスト教、サツマイモなどが海外からいちはやく伝来した鹿児島県。多くの偉人がリーダー性を発揮し、現代につながる技術の開発や国の改革に力を注ぎました。

数々の歴史に触れながら、偉人の功績に思いを馳(は)せる鹿児島県の旅はいかがでしょうか。

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