【囲碁の歴史】発祥地や起源、日本への伝来時期、女流棋士制度などを解説

【囲碁の歴史】発祥地や起源、日本への伝来時期、女流棋士制度などを解説

若手棋士の活躍などで注目される将棋の世界。こうした将棋人気と並び、いま囲碁の世界にも熱い視線が注がれています。人気マンガの影響を受けて囲碁をはじめる子どもも多く、昨年4月には史上最年少10歳0ヵ月でプロの女流棋士が誕生するなど、人気が高まっています。

盤上の競技として、何かにつけ将棋と比べられることの多い囲碁。国内での知名度はまだまだ将棋に軍配が上がりそうですが、世界的な競技人口は囲碁のほうが圧倒的に多いといわれます。囲碁はいつどこで生まれ、日本に伝わってきたのでしょうか。そこで今回は、囲碁の歴史や女流棋士制度などについて、詳しく解説いたします。

囲碁の起源・発祥地

囲碁の起源・発祥地

およそ4千年前の中国が起源という説や、インドやチベットを発祥とするものなど諸説あり、はっきりとしたことはわかっていないようです。また、碁盤を宇宙、碁石を星にみたて、天文や暦・占いなどに使用したという説や、春秋戦国時代(紀元前770~前221年)に戦略を考える上で用いられたという説があります。

中国では、君子のたしなみとして子どものころから「琴棋書画(きんきしょが)」を習わせる風習がありましたが、このなかの「棋」は囲碁のこと。「琴」は音楽、「書」は書道、「画」は絵を指し、王様になるために欠かせない教養として学んだといわれます。

現存する最古の棋書のなかには、呉の孫策と呂範が対戦した記録があります。また、三国志に登場する蜀の関羽が、戦いでケガをした際医者に傷の手当てを受ける間も囲碁を打ち続けたという、囲碁に対する熱狂ぶりが伝わる逸話も残されています。

日本の囲碁の歴史

日本の囲碁の歴史

さて、囲碁はいつどのように日本に伝わり、今日まで発展してきたのでしょうか。ここでは、日本における囲碁の歴史についてご説明いたします。

日本に伝来したのは…

どのようにして日本に伝わってきたのかということも、明確にはわかっていないようです。一説に、奈良時代の吉備真備(きびのまきび)という人物が遣唐使として唐から持ち帰ったというものがあります。しかし、701年に制定された大宝律令のなかに「碁」に関する記述がすでにあることから、記録にはないものの5世紀ころに朝鮮から渡ってきたとする説が有力とされているようです。

日本での歴史

中国の律令をお手本として強力な国づくりを目指した大宝律令は、日本で初めて行政法・民法・刑法の3つを揃えたものです。大宝律令のなかに、「スゴロク」や「バクチ」は禁止するが「碁」「琴」は禁止しないという法律の制定が記されているほか、平安時代の文学として知られる「古今和歌集」や「源氏物語」、「枕草子」などにも囲碁が登場しています。これらから、平安時代、囲碁は公家階級や僧侶たちを中心に好まれていたとされ、囲碁好きだった醍醐天皇は、当時囲碁の強かった寛連上人(かんれんしょうにん)と金の枕を賭けたなどという話もあります。また、奈良の東大寺大仏殿の北西にある正倉院には、聖武天皇の遺品として、日本最古のものとされる碁盤や碁石なども保存されています。

鎌倉~室町時代になると、囲碁は貴族社会から次第に武家社会へ、そして農業、商業を営む人々にも広まっていきました。

安土桃山時代、囲碁好きの織田信長が名手と噂される日蓮宗の僧侶日海(にっかい)の対局を観戦、その強さに日海を「名人」と称えたという説や、このことが「名人」という言葉のはじまりとする説があります。これらは創作とする説もあり、本当のところは定かではありませんが、日本における囲碁の歴史は日海の活躍によって大きく動きはじめたといっても過言ではないようです。

日海は1559年に生まれ、8歳で京都の寂光寺に入門。修行のかたわら囲碁を習いはじめ、やがてその強さが噂を呼び信長の目にとまることになります。日海は、安土桃山時代から江戸時代まで信長・秀吉・家康の三代に仕えたといわれ、秀吉の時代には囲碁の猛者を全国から集めて日本一を決める大会が開かれます。圧倒的な強さで優勝した日海には朱印状が与えられ、給料も支払われるようになりました。このことから、日本で最初の囲碁のプロ棋士は日海だったといわれています。

1603年、江戸幕府の征夷大将軍となった徳川家康のお祝いに参上し対局した日海は、その後家康の勧めで寂光寺を弟(日栄)に譲り、隠居して「本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)」と名乗り、「名人碁所(めいじんごどころ)」を任されるようになります。その職務は天覧碁の組織、将軍の指南、免状の発行、全国棋士の統一などであり、名人でなければ碁所にはなれませんでした。また、徳川家康によって囲碁の「家元制」が敷かれ、算砂が家元制の初代リーダーとなったほか、1626年からは囲碁の公式試合「御城碁(おしろご)」が開幕。御城碁は年に1度、江戸城で行われる御前試合で、プロ棋士にとって晴れの舞台でした。

本因坊(家)に続いて、井上(家)、安井(家)、林(家)が家元になり、四家の家元制「家元四家(いえもとよんけ)」が確立しますが、組織的に安定してくるとやがて碁所を争うようになっていきます。三代将軍家光のときに碁所をめぐる争いが起き、囲碁で決着をつけることに。幕府は二世本因坊算悦(さんえつ)と二世安井算知(さんち)に二十番の争碁(そうご)を命じました。1645年の御城碁を第一局とし、以降9年間にわたり六番まで争いますが、勝負は引き分けに。碁所は一時預かりになったと伝えられています。

江戸時代後期、商業経済の発達によって生まれた豪商や豪農が中央や地方在住の碁打ちを招待したことから、碁打ちが全国を旅するようになり囲碁界もさらに活気づいていきます。文化文政時代には、十一世本因坊元丈(げんじょう)、八世安井仙知(せんち)、十二世本因坊丈和(じょうわ)、十一世井上因碩(いんせき)、十一世林元美(げんび)などたくさんの天才棋士が現れ、囲碁界は黄金時代を迎えます。なかでも1837年、10歳で丈和の弟子となった本因坊秀策(しゅうさく)は「碁聖」と称えられ、1848~1861年までの13年間、御城碁で19局全勝の大記録を樹立しました。

1867年に大政奉還がなされ明治時代になると、各種改革により家元四家は政府の保護を失い、1871年に本因坊家をはじめさまざまなグループが団体を設立。1878年には新聞に碁が掲載されるようになり、1924年には大倉喜七郎男爵の呼びかけにプロ棋士たちが集まり、「日本棋院」が創立されます。

昭和時代には戦争で対局できない時期もありましたが、終戦後昭和30年以降になると、各新聞社が主催するプロ・アマ棋戦が充実、テレビでは囲碁番組の放映もスタート。1977年には「高校囲碁選手権」、1980年には中学生以下を対象とした「少年少女囲碁大会」がはじまったほか、1979年には「第1回世界アマチュア囲碁選手権」が開催、1982年には「国際囲碁連盟」が設立されるなど、囲碁は世界的にも普及していきます。

日本の現在の囲碁

日本の現在の囲碁

現在、「日本棋院」と「関西棋院」の2団体があり、日本における棋戦の多くはこの2組織の共同でおこなわれています。「棋聖戦」「名人戦」「本因坊戦」「王座戦」「天元戦」「碁聖戦」「十段戦」は「七大棋戦(七大タイトル)」と呼ばれ、賞金額が特に大きい「棋聖戦」「名人戦」「本因坊戦」の3つは「三大棋戦(三大タイトル)」と呼ばれています。

「日本棋院」「関西棋院」は、それぞれの団体が独自にプロ棋士を採用。基本的には各棋院の養成機関に所属する「院生」となり、そのなかで成績上位者がプロになります。囲碁のプロになる年齢制限は将棋よりも厳しく、囲碁の院生は17歳まで(将棋の奨励会員は原則26歳まで在籍可)、外来として受験できる合同試験も22歳までとなっています。

女流棋士の制度

女流棋士の制度

昨年4月、囲碁界に史上最年少10歳0ヵ月でプロの女流棋士が誕生し、大きな話題となりました。スポーツ競技などの多くは男女別に競いますが、囲碁や将棋の場合「男女で対局することはあるの?」そもそも「棋士と女流棋士とわけて呼ぶのはなぜ?」と気になっていた方もいるのではないでしょうか。ここでは、そのような疑問について解説いたします。

女流棋士は男性棋士と対局するのか

日本の囲碁界において「女流棋士」といった場合、性別が女性の棋士であることを指します。囲碁の女流棋士は、男性棋士と同様に棋戦に参加できるほか、女流棋士のみで戦う女流棋戦に参加することも可能です。

将棋の女流棋士との違い

一方、将棋界における「棋士」は、男性の棋士を指します。「女流棋士」と「棋士」では扱いが異なるため、将棋の女流棋士は固有の制度のもと活動しています。棋士の出場棋戦には原則として出場権が与えられず、試合は女流棋士のみが出場できる「女流棋戦」、昇段・昇級制度も棋士とは異なります。

世界で親しまれている囲碁

1979年には「第1回世界アマチュア囲碁選手権」が開催されたほか、1982年には「国際囲碁連盟」が設立されるなど、囲碁は世界的に普及してきました。今では日本をはじめ、中国、台湾、韓国、北朝鮮、アメリカやヨーロッパなどでも親しまれ、「世界選手権」や「世界アマチュア囲碁選手権」などが開催されています。

日本棋院に聞いてみました

公益財団法人日本棋院に女流棋士の現状から、囲碁に関するさまざまなことについて聞いてみました。

  • Q.現状の女流棋戦について教えてください

囲碁の女流棋士は棋聖戦をはじめとした一般棋戦(男女ともに出場)と、女流棋士だけが出場できる女流棋戦があります。

女流棋戦は、現在5つあり、藤沢里菜女流本因坊・女流名人・女流立葵(じょりゅうたちあおい)杯、上野愛咲美女流棋聖・扇興(せんこう)杯の2人がタイトルをもっております。(2021年5月29日開催のフマキラー囲碁女流ブレーンズマッチに藤沢里菜女流本因坊、上野愛咲美女流棋聖が出場します)

女流棋士は一般棋戦においても上野愛咲美女流棋聖が第28期竜星戦において、準優勝(優勝は一力遼竜星)し、30歳以下七段以下の棋士限定の棋戦ではありますが、第15回広島アルミ杯若鯉戦では、藤沢里菜女流名人(当時)が優勝するなど、活躍をみせています。

  • Q.棋士を目指すにはどうすればよいでしょうか?

棋士を志す青少年に対して、棋士を育成することを目的とした日本棋院院生制度があり、院生での対局の成績による採用、院生及び院生以外の方でも23歳未満であれば、棋士採用試験に合格することにより、棋士になれます。

  • Q.世界で活躍している日本人棋士は?

井山裕太九段をはじめとし、芝野虎丸九段、一力遼(いちりきりょう)九段など、日本のトップ棋士が世界戦に出場しております。女流棋士を対象とした世界戦もあり、女流タイトルホルダーの藤沢里菜五段、上野愛咲美四段、ほかの棋士が出場しています。

  • Q.棋士とAIとの対局も話題ですが、AIを活用している棋士の方も多いのでしょうか?

AIの普及に伴い、トップ棋士をはじめとして、多くの棋士が日々の研究にAIを活用しており、AIの研究に基づく対局も多く見られます。

  • Q.初心者が強くなるにはどうすればよいですか?

とにかく対局を多くすること、プロ棋士の対局を見ること、詰碁を解くことなど囲碁と接する時間を多くすることが棋力向上につながります。

  • Q.囲碁を覚えるのに良い方法はありますか?

一人で覚えるのではなく、友人などと一緒にはじめたり、初心者を対象とした囲碁教室に通うことで、同じぐらいのレベルの方と対局することが良いと思います。

  • Q.子どもに囲碁を教えるにはどのようにすればよいでしょうか?

あまり教えすぎることなく、自由に多くの対局をさせ、よかったところ、悪かったところなど、自分で考えてもらうようにすると良いと思います。

  • Q.現在最強の棋士は?

日本では、タイトルホルダーである井山裕太九段 芝野虎丸九段 一力遼九段となります。世界では、中国の柯潔(か けつ)九段 韓国の申旻埈(シン・ミンジュン)九段の名前があがります。

  • Q.囲碁の最年少棋士は?(男性/女性)

最年少入段記録は仲邑菫(なかむらすみれ)二段の10歳0ヵ月(2019年入段)で、現時点でも最年少棋士(12歳)です。(2021年5月29日フマキラー囲碁女流ブレーンズマッチにも出場予定)男性の最年少入段記録は趙治勲(チョウ・チクン)九段の11歳9ヵ月(1968年入段)となります。

  • Q.日本の囲碁界を強化するためにされている活動などあれば教えてください

囲碁ナショナルチームを結成し、若手の育成のために強化合宿や研究会を行っております。そのほか、棋士が個別に研究会を行い、日々の研鑽を行っております。

【取材協力】囲碁の日本棋院

偉大な人物も楽しんだ囲碁をはじめてみませんか

現在も使われている「布石」「定石」「捨て石」などの言葉には、囲碁に由来するものが数多くあります。「死活問題」の「死活」という言葉も、石の生き死にが転じて商売などでも用いられるようになったものであり、日本人の生活のなかに囲碁が深く根付いていたことがわかります。

今日の囲碁の発展に歴史上の偉大な人物が関わっていたり、同じ女流棋士でも囲碁と将棋では制度に違いがあったり、知れば知るほど面白い囲碁の世界。この機会に、囲碁を学び実際に打ってみてはいかがでしょうか。

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